見出し画像

はじめての同棲、いっしょに食べるごはんのこと

一緒にいたかったとしてもどうしてもうまくいかなかった人もいるのに、出会って間もなく恋に落ちてそのスピードを加速させるようにとんとん拍子で同棲まで決まってしまうような人もいて、それを一口に相性といってしまうのは雑だし、タイミングと言ってしまうと意志がないみたいで嫌だけれども、自分ではどうにもできない流れみたいなものに運ばれているのを強く感じる一年だった。

恋人になるまえに、自己紹介のように交わしたあらゆる言葉の数々をわたしは今もたいせつに思い出す。
ひとりだったときに抱えていた孤独や不安のこと、ひとりだったときに語っていた生き様のことを、ふたりになっても覚えていたくて、好きなひとから溢れでた言葉はすべてやさしく胸にしまい込んできた。

良いことも悪いこともそのまま。
解釈を加えずに、そのまま。
あなたがそうと言ったら、それはそういうことなのだ。それをわたしは尊重しながら眺めていたいのだ、と思いながら夏が過ぎて秋が移りゆき冬になる。

そうしてわたしたちは同棲が決まった。
途方もなく長すぎると感じていた人生も、このひとと一緒だったら短く感じる。そういう相手だ。

親以外の誰かと一緒に暮らすのは初めてなので、その都度思ったことを残しておきたい。書きたいことが生まれる日々でありたい。
長すぎる人生を短くしてくれる、そんなひとと歩む日々だから残しておきたい、覚えておきたい出来事を、今年はミニエッセイという形で残しておけたらと思うのだ。

第一話 ときたまご

 焦げ色のついた鶏肉にめんつゆとみりんをさっとかけると、キッチンにほんのり甘い香りが立ち上った。フライパンを握る恋人の姿を眺めていたわたしは、その匂いにたまらず喉を鳴らす。

 親子丼には、めんつゆがいい。甘い焦げ味がつくのがたまらなくすきだ。

「ときたまごつくって」

 鶏肉をひとつひとつ丁寧にひっくり返す彼がそう言った。薄い桃色をしていた鶏肉がじゅわっと白く変わっていく様を見るのも楽しかったけれど、わたしは言われた通り冷蔵庫から取り出したたまごを四つ、マグカップの中に落とした。ボウルはないけど、二人分の色違いのお茶碗があって、二人分のカトラリーがあるキッチン。マグカップは気に入ったものを見つけるたびに増やしてしまうから、少し多い。

 わたしはこぼさないようにしながら、四つのたまごを箸の先でぷしゅ、と割って慎重にかき混ぜた。

ときたまご。聞くだけで、なんだか少し気が抜けて、お腹が空いてしまうようなかわいい響きがある。ときたまごつくってって、言われたい。言われたかった気がする。

 卵黄の、橙色と山吹色のあいだにあるような鮮やかさ。それでいてこっくりした落ち着きのある色。このまま白いごはんの上にかけてもおいしいんだよなあ、と思う。

 たまご料理はなじみ深い。同棲するまでにも、深夜に食べたゆでたまご、お昼すぎに起きてきて食べる目玉やき、2人揃って風邪を引いたときのたまごおじや、たくさんのたまご料理を食べた。

たまごって、一人暮らしだと使うのが難しくてわたしはあまり買うことがなかった。美味しいけれど、たまごってパック売りだから少なくとも4〜8個くらい入っているし、1個売りだとちょっと高い。たくさん入っているのに賞味期限は短く、生で食べられる期間は短い。

でもふたりなら、たまごはすぐに使い切ることができた。
わたしがときたまごを作る間、じゅうじゅうとフライパンが鳴る。

彼が慣れた手つきでさっとときたまごを鶏肉に被せていく。みるみる黄色く変わっていき、甘い匂いがキッチンにたちこめる。
蓋をして少し蒸し始めたら、わたしはすぐにどんぶりにご飯をよそるのだ。

たまごの甘くてやさしい匂いで、なにげない日常の確かにすぎていく日々を記憶していく。特別じゃないけど、日常が日常となることのうれしさがここにはある。

ーーーー

さて。歳を跨いでの久しぶりの更新となってしまいました。書きたいことがたくさんあるのに追いつかないばかりです。
いつも読んでくださりありがとう。
寒暖差が激しいので体に気をつけてください。

また更新します。

いいなと思ったら応援しよう!