それでもあなた(子ども)を分かりたい
もし、あなたの子どもが目を合わしてくれなかったら
もし、障害があったら もし、発語が無かったら
もし、自分の子どもが理解できなかったら
もし、自分の子どもが周囲に理解されにくい子供だったら
それでも子どもを理解したい
理解できなくて困ってる人に贈りたいメッセージです
私には、娘が一人います。その娘には、生まれつき障害がありました。
ただ、見た目に明らかでなく、検査をしても未だに明確な病名は付いていません。診断がつかないことで周囲に説明出来ず、周囲から理解されなかった為、私は一人で娘と向き合っていくしかありませんでした。この理解されないというのは、相談すると虐待を疑われてかえって迷惑をこうむるから、自分自身のメンタルを守るため仕方のない選択でした。
生まれてすぐから娘と接する度に、私は娘の反応に違和感を覚えていました。出産した病院の小児神経科の先生は、何も感じてなかったのか、検診の度表情の少ない娘を見て、虐待を疑うばかりで、私の相談をまともに聞いていませんでした。
1歳から5年間も通った療育園でも、感覚統合(視覚、聴覚、触覚、固有受容覚、前庭感覚など複数の感覚を状況に合わせて整理して働かせることのできる力)の母親教室をしたにもかかわらず、その問題が娘にないかのように、歩いたら次は言葉をという一般的な子供の成長を期待する対応に、長く娘に接してもらったのに理解されないことを断念に感じました。
母親の私自身が、一番心配してるし焦っているのに追い詰めてるって分かってる?母親を追い詰めたら、子どもに良い影響でもあるの⁉ないでしょ‼言葉に出せない憤りをいつも心の中でつぶやき続けていました。
もし夫が、娘のそのままを受け止めてくれなくて、私を否定していたら私の精神状態はきっと壊れていたでしょう。
実際に、娘が生まれて四カ月の頃、夫に「娘はどう考えても一般的な成長は望めない。小さな成長を喜んでいくしかない。今の周りの状況が続けば、私がおかしくなってしまうから、あなただけは娘のそのままを見て私の子育てを評価してほしい。そして、私が行き過ぎたら注意してほしい。」とお願いしました。
その時期私は、病院でただ虐待の無実を晴らすためだけに、勧められる検査に応じたり、親戚からの娘には到底に無理な善意の子育て指南の電話に怯えたりする毎日を送っていました。
娘は、目を合わさずむしろ意識して目線をそらしている様子で、おっぱいが近くに来ることも嫌っている様子があり、ただ哺乳力が弱いだけでは説明できない反応でした。
他にも、子育て本の、総てに当てはまらない気がしました。いくら、相談してもまともに取り合ってもらえず、私の悩み事は口にするのも、罪深いことのようでした。
小学校に入るころになって、やっとそんな子供なのだと、周りが諦めてくれたことで、少しの自由を得た気がしました。
以前聞いた話に、肢体不自由の車いすのお子さんを、歩く練習に連れ出したお父さんが練習に熱が入るあまり、やる気のない子供に苛立って、殴り殺してしまったという事件がありました。
この話、私は何度思い出しても、そのお父さんの気持ちが切なくて、涙ぐんでしまいます。私の子育ての中でも、自分がこの子を何とか成長させてあげたいという気持ちを抑えるのに、苦しいことがありました。成長を望むことを諦めて、何もしないと楽になれるのかと考えることもありました。
小児科医も、療育園も、親戚も、理想の成長しか教えてくれなくて、それ以外許されない気がして少しでも早く理想に近づけたい強迫観念すらあったと思います。
そんな時期を過ごしたからこそ、この事件のお父さんに「筋肉量の少ない子は運動させるにも、一度にたくさんは無理で、ゆっくりじっくり成長を心掛けてください。」と教えて上げられる人のいなかったことが、悲しくて仕方ないのです。
感覚統合などのさまざまな本を読んで、知識を得ても、子供のために親自身ができる具体的なことは、書いてはいませんでした。
このブログに書いていることは、私が親として具体的に何が出来るか考えた結果、考えて実行してきた一例で、母親だから見えたこと感じたことです。
私の考える子育ては、大人と同じ人間として不変なことと、子供(未熟)だからと、そして、それ以外の配慮が必要な場合と、分けて考えなければならないことを、理解することが必要だと思っています。
理解し知識を持つことで、子育てに困った時の余裕につながるからです。
一主婦の話ですが、実体験から何が娘にとっての正解かを、ひたすらに考えた結果です。
経験を通して感じた、子育の支援を受ける側と支援する側への問題提起と、悩みの多い子育てをされている方の気もちが楽になる提案が出来ればと思います。