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多角的な視点と誰にでもある極限状態
人それどれの主観で、私の生きてきた環境を恵まれていると思う人もいれば、それなりに苦労したのねと思う人が居るかもしれません。
育った環境や、性別、性格、趣味、経済力、健康状態など全てが一致しない限り、全くの同じ視点で相手の気持ちを推し量ることは、無理かもしれません。それどころか、同じ人でも、数時間前の出来事によっても、その時の判断は変わるかも知れないのです。
私より、ずっと大変な経験をされている方はたくさんいるはずで、私の提案など失礼かもしれないけど、ただ現在の子供を取り巻く問題と、その子供が成長した時の私たち大人が、なぜこんなに自ら苦しんでいるのかと思い、少しでも気持ちを救えたらと思い私の経験をお話します。
私は田舎育ちで、祖父母と父母と兄姉の三世代の七人家族で育ちました。
母が私に話すとき、何かにつけて二つの見方を話すのを、いつも聞かされていました。父親の悪いところを言ったかと思ったら、そこがいいところでもあると相反することを必ず言っていました。祖母に腹の立った話をしたかと思うと、祖母の行動が最もとも話すのです。私に考えを強要する様子でもなかったので、母親が教育として狙って行っていたというより、自分の考えをまとめて気持ちを納めようとしていたのが正解かもしれません。
それを日々聞きながら三世代の中で育ったせいか、母と祖母の関係も、嫁と姑と客観視して話を聞いているところがあり、母のことも嫁の立場ならその考えで仕方ない、姑は当然そう言うでしょうなどと、どこか冷静な子供でした。自分が怒られていても、母としての戒めに対して、祖母の助け舟を期待して、助け舟の無い時は、救いようのないことをしたのか?それとも、母の怒りの状況がタイミング的に最悪なのか?と考えを巡らしていました。
ひどいいじめの、加害者や被害者になったことはないけど、軽いいじめやセクハラはたびたびありました。人並みと言っていいのか、思春期の反抗期や学生の頃は五月病や過食症、就職活動中は人間不信、三十歳前に卵巣腫瘍で手術。最悪の死も覚悟し、不妊治療の末に娘が生まれてからは軽いうつ病にもなりました。
なんか、不幸自慢みたいですけど、何が言いたいかというと、少しは人の気持ちを推し量って考えられる人間であることをお知らせしたいのです。
自分がうつ病になった時は、医師に指摘されるまで病気に気付いていませんでした。自分の耳が聞こえにくくなっているのと、視野や視力が悪くなっているのは感じていて、過呼吸で呼吸が苦しくなったと、耳鼻科で症状を相談するとうつ病の指摘を受けました。その後、本で調べるとなんと症状がぴったり、過呼吸まで起こしていたので、夫にうつ病を治すために切実な願いとして引っ越しを願い出ました。このうつ病になった時期に、誰にも理解されない孤独な子育てをしていました。理解されないうえに周囲から受けるストレスに心のバランスが限界に来ていました。
今になって思えば、人間ってストレスの対象から逃げるために、拒絶反応で感覚まで無くしてしまおうと無意識にでもしてしまうのだと驚きでした。聞きたくないから聴力をなくしてしまえ!見たくないから視力を無くしてしまえ!体が勝手に順応して心を守ろうとするのです。
自分の心を守らないと、子どもを守れない!
引っ越したおかげで、自然と感覚は元に戻りました。
母から受け継いだ多角的な見方の提案と、この経験から極限の拒絶反応、防衛反応は誰にでもあることの理解を広めることで救われる人が多いのではないかと思います。
偏らない多角的な見方で物事を見ていますか?そして、子育てをしているあなた自身の心が追い詰められていませんか?