my学習論:アウトプットと習慣の『負』の側面
はじめに、勉強には入力(インプット)と出力(アウトプット)の段がそれぞれあると思う。
インプットの段階で、新しいことを学び、自分の中に落とし込む。
そして、その学んだことを人に話したり、記事にしたりしてアウトプットする。
アウトプットで知識を自分の言葉にして初めて、情報が血肉となる。
情報は絶対的なものではなく、重なる部分もあるので、インプットとアウトプットのサイクルを繰り返すことで雪だるま式に知識が増えていく。
サイクルを習慣化することで、知識の継続的な増加が期待できる。
だから、学習には『インプットとアウトプットのサイクル』と『習慣』が必要だと考えている。
しかし、すべての物事には、良し悪しがある。
ここからは自分が気づいた『アウトプット』と『習慣』の負の面を紹介する。
始めにアウトプットのデメリットを挙げる。
自分のアウトプットの手法のひとつとして、noteに投稿するというものがある。
自分が学んだ行動経済学や心理学の知識やそれらをもとにした考察をnoteに投稿している。
noteに投稿する際、知識や考えを自分の言葉にする作業が必要なので、上質なアウトプット体験をすることができる。
しかし、noteに投稿した記事は誰かに見られる可能性がある。
すると、投稿した記事、すなわちアウトプットの評価が気になってしまう。
そして評価に対する気にかけが行き過ぎた余り、勉強内容を定着するための投稿だったのに、投稿目的の勉強になってしまう。
つまり、原因と結果があべこべになってしまう。
そんなリスクがブログに知識をアウトプットする活動には潜んでいる。
次は習慣のデメリットだ
徐々に体を慣らしていって、一旦習慣化させてしまえば、歯磨きのようにその習慣をしなければもはや変な感じになる。
だから、ポジティブな習慣を手に入れたら、それがエネルギーを必要とするものでも、毎日できるようになる。
しかし、習慣にもデメリットがある。
それは、歯磨きのように、それをしなければなんか変な感じがするものの、その行為自体に喜びを感じにくくなってしまうということだ。
習慣化をすることで、たしかに面倒な気持ちやきつい気持ちを無くすことができる。
だが、その行為から得られたはずの喜びや楽しみも同時に失ってしまう。
実に悲しいことではないか。
幸い自分が今勉強している分野でこの現象は起きていない。
だが、習慣化の影が近づいている気がして怖い。
今回は自分が普段勉強する中で悟ったことを綴った。
また、何か見つけたら投稿します。
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