師匠に会って聞いた、イギリス・アートセラピーの今
今年の長期休暇はいろいろなご縁が重なって、ロンドンを訪れることができました。
ただ、今回のロンドン滞在はたった3日間。
しかもちょうど皆バケーションに出てしまう時期だったので、すれ違いで会えない人もたくさんいました。
でも、私がいちばん会いたかった先生とは、奇跡的にお会いすることができました。
彼女の名前はMia。NHSの精神科病院に勤務するベテランのアートセラピストであり、ロンドン大学のアートセラピーマスターコースの教授でもあります。
私がNHSで実習生として働かせてもらっていたとき、スーパーヴァイザーとして1対1で指導してくれたのが彼女でした。(…よく考えたらMia先生と呼ぶべきなのでしょうか)
Miaは、私の至らない英語にも嫌な顔ひとつせず、本当に丁寧に、根気よく、深く、私の面倒を見てくれました。
彼女がスーパーヴァイザーでなかったら私は実習を続けられなかったし、閉鎖病棟での難しいケースを継続できなかったと思います。本当にお世話になりました。
大学院でのMiaはいかにも“先生”といった感じで、論理的かつエビデンスに沿って講義を行うしっかりした人なのですが、臨床現場での彼女の印象は全く異なります。
大きなテディベアのような、と言ったら失礼でしょうか。
閉鎖病棟の中での彼女は、どんな時も受容的で、穏やかで温かく、それでいて真摯でした。
たとえ言葉を発さなくても、彼女がそばにいてじっと耳を傾け、優しく見守っているだけで、患者さんの緊張が解けたり、興奮が静まったりしていくのを目の当たりにして、感銘を受けたのを覚えています。
彼女はそんなふうに話してくれました。
彼女のグループセッションに毎回参加させてもらったこと、彼女が病院で働く姿をいつもそばで見せてもらったこと、私のケースについて毎回手厚い指導をしてくれたこと、本当にかけがえのない宝物になっています。
さて、
メールでは時折やり取りしていたのですが、直接会って話すのは実に6年ぶり。
「残念ね、その3日は全部仕事なの…でも、もしよかったら病院にいらっしゃい!」と言う彼女の好意に甘えて、昔の職場を訪ねました。
私の顔を覚えていてくれるだろうか。
私の酷い英語(さらにひどくなってしまった)が通じるだろうか。
突然押しかけて行って、迷惑じゃなかっただろうか。
道中不安が押し寄せました。
懐かしい駅、懐かしい病院までの道。
よくランチを買っていた美味しいベーカリー。
患者さんたちとあいさつしたり、タバコを勧められて焦ったりしたバス停。
そして、エントランス。
約束の時間、職員用の棟の1階で待っていると、Miaが階段を駆け降りてきました。
目が合った次の瞬間、Miaが「Waa」と声を出しながら両手を広げてくれたので、私も思わず駆け寄ってハグ。
その一瞬で6年の壁が溶けてしまいました。
気がついたら私たちは昔のように話していました。まるで今からまた一緒に仕事をするかのように。
Miaは一通り院内を案内しながら、変化を教えてくれました。(この病院はもうすぐ別の地域に移転する予定なのだそうです。そのせいで組織内部は色々と混乱しているようでした)
「さて、今日のお昼休みはたっぷりあるから、ゆっくり話しましょう」
病院の中庭には、職員と患者さん両方が利用できるカフェテリアがあるのですが、私たちはちょっと足を伸ばして、駅の近くのカフェまで行くことに。
カフェでは、互いに今どんな仕事をしているか、コロナ禍でどんなふうに仕事していたか、どんな変化があったかについて話しました。
そして互いのプライベートでの変化、今の心境、今後のプランについて。
Miaの話では、コロナの時、病院はやはり大混乱で、感染予防について理解が追いつかない患者さんから感染が広がり、亡くなるかたもいたのだそうです。
流行が始まったばかりの頃は特に、未知のウイルスだったので、患者さんたちは大変不安定になり、セラピーも荒れることが多かった。
職員もどう対応して良いかわからず、院内全体がカオスだったけれど、段々と対処法を編み出し、安全な環境を提供できるようになっていった、と。
そして、大人数が密集するグループセッションは長い間中止になっていたとのこと。
職員内でももちろん感染があり、Mia自身も計2回感染したと話していました。
「ワクチンも行き渡り、感染も落ち着いて、今年の夏はみんな開放的になっているわ」とMiaは言っていました。「職員はマスク着用が義務付けられているはずなんだけど、オフィスではしていない人も多いの。街を歩いていて、マスクをしている人を何人見た?ね?日本はどう?Ayaの職場はまだみんなマスクしているかしら?」と。
(確かに、ロンドンではマスクをつけている人を探す方が大変なくらいでした)
私の勤務先の病院でのこと、臨床心理士・公認心理師としての仕事、リエゾン業務のこと、緩和ケアチーム業務のこと、アートセラピーのグループセッションのこと、そして、私も心理士チームの一番の古株になり、今では新しく入ってくる心理士さんたちのマネジメント業務をするようになったこと…Miaは昔と変わらない調子でうんうんと興味深そうに聞いてくれました。
日本ではイギリスほどアートセラピーが浸透していません。
イギリスにはNICE(National Institute for Health and Care Excellence:国立医療技術評価機構)というとてもしっかりした治療のガイドラインがあり、NHSをはじめとするほとんどすべての医療機関がこのガイドラインに沿って治療を提供しているのですが
例えばその「成人の精神病と統合失調症:予防と管理」というページには、以下のような文章があります。
そう。イギリスで最も支持される治療のガイドラインNICEにおいても、アートセラピーは認められているのです。
日本では、統合失調症の心理療法にアートセラピーなんて言ったら、先生方は「???」と固まってしまうでしょう。それくらいの差があります。
(私は勤務先の病院でアートグループをいくつか担当していますが、そこで求められているのはあくまでもレクリエーション、リハビリ的な"わかりやすい"ものであり、力動をベースにしたアートセラピーとは異なっています)
私がそんなことを話したら、Miaもつられて教えてくれました。
「色々な事情があるのよね。NHSもコストパフォーマンスを上げるために必死だから、やっぱり個別のセッションはなかなかやりたくても控えるようにと言われたりする。それよりグループが推奨されるわね。効果があるとわかっても、経済的な問題やマンパワーの問題もあるから難しい」と。
「だけど、大きな地域の病院としては、できるだけたくさんの人に効率よくサービスを届けることも大事だから。本当に自分のやりたいセラピーをするのなら、個人オフィスでやるのが一番だと思うわ。私もそういうケースはプライベートで受けている」
また、NICEガイドラインでは、精神疾患に対してまずCBT(認知行動療法)が推奨されることが多いようですが、これもコストの面を重視してのことだそう。
「ただ、CBTが適応でない患者さんもたくさんいるから…」とMiaは言いました。CBTでの介入が難しくて、力動的、分析的なアプローチをとっているセラピストも多いわね、と。
そうなのです、病識や問題意識のない患者さんにCBTを導入することはかなり困難です。知的にも認知機能的にもあるレベル以上でないと、CBTは機能しません。
どこの国でも同じようなことが起こってるのねえ、と私たちは苦笑いしました。
「でも、アートセラピーもCBTも、自分の専門性に固執しすぎて、それを患者さんに押し付けるのは間違っている。私たちがすべきは、患者さんや地域の精神的な健康に資することであって、それぞれのケースに応じたベストなアプローチが必要。そのためにはチームで理解し合い、尊重し合い、協働しながら、ベストなサポートを提供していかなければ」
という結論にまとまりました。
ところで今後はどうするのですか、と私が聞くと、Miaは大学の先生を辞めるつもりだと言いました。
実習生は受け入れるけど、病院の仕事もあと数年で終えるつもりだと。私が驚いて理由を尋ねると、
「年になるとこたえる仕事なのよ、あなたにもわかるでしょ」と、Miaは笑いました。
引退したら、小さなオフィス兼アトリエを構えて、そこでスーパーヴィジョンをしたり、ケースを持ったり、作品を作ったりしようと思っているのだと、Miaは話してくれました。
素敵なプランだね、羨ましい。と私が言うと、
「何言ってるの、あなたはこれからもっとずっと素敵なプランが描けるはずよ」とMia。
おしゃべりの時間はあっという間に過ぎ、私たちはカフェを後にしました。
最後に写真を撮ろう、と私が声をかけると、
「あら!私もそのつもりでこれ(スマホ)を持ってきたのよ!いっつも忘れちゃうんだから。6年前どうして写真をとっておかなかったのかってずっと悔やんでたわ!」とMiaも乗り気でした。
しばらくはまた会えそうにありませんが、オンラインでのスーパーヴィジョンや相談のこともお願いでき、また連絡を取り合おうと約束して別れました。
Mia。
なんだか変な表現ですが、第二のお母さんみたいな、おばあちゃんみたいな存在です。
それくらい愛おしくて、大切な人です。
彼女がいつまでも健康で、幸せでいてくれますように。
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