なぜ写真を撮るのか
これについては多くの方がnoteでも書いていますね。
あまり皆さんのものを時間をとって読み込めていないので改めて時間をとって読んでみたいなと思います。
写真を撮るようになった始まり
それはカメラがかっこいいと思って買ってもらったからという恥ずかしい理由です。
初めは何をどう撮ればいいのか右も左もわからず、飛行機や鳥、鉄道、車、花、気合を入れた自然風景写真どれも違うな、と思いながら家族の写真などを撮っていました。そんな中ストリートスナップっていうのがあるということを知るようになりました。
カメラが好きで始めた趣味なので出てくる絵よりも撮る行為が楽しくてそれはそれでよかったと思います。今でもそんな感じです。
今思うこと
これがコロコロ変わるのです。
のでこの記事はああ、あの時はそうだったかと思えるように書き換えないようにしたいなとは思っています。
1番は趣味なりにart作品にしたいということです。
絵を描くのも好きなのですが、写真で表現したい。それが願いです。
趣味なのだから好きなものが撮りたいですね。
でも自分が面白いな、好きだなと思うだけではなくて、もっと訴えかけるような、写真のほうから呼びかけてくるような写真が撮りたいという思いが強いです。そこまで形にするのが目標でもあります。
そんな固くならず楽しく写真を撮り続ける方が最優先ですが。
2つ目は、記憶の記録ですね。これは1つ目とも少しかぶっています。2024年11月今日に自分の目で見た世界はこうだった。というのを形にして記録したいなと思っています。
個人的にはレトロなものの方が好きですが、今っぽいものを混ぜて撮りたいとも思います。ああ、あの時ってこんな感じだったなって誰かが( 多分自分しか見ない )見た時にノスタルジーを感じるようなそんな記憶の記録を残したいです。
総括して、アイデンディティなんでしょうね。
綺麗な何かの写真はGoogle画像検索したらすぐ出てきます。YouTubeを見たら綺麗な風景が見れます、しかも動画です。AIも写真っぽいものを作れるようになってるらしいです。
あまり言い過ぎると夢がなくなってしまいますが、自分なりに何かを残したいともがいているんだと思います。
最後に
以前友人に、写真を撮ったり、文を書いてないと生きていけないんだろうな。というか生きてくためにしてるんだろうな。と言われたことがあるのを思い出しました。
今でも万年筆を握って誰にも見せられないような駄文を描いて、そして醜い写真を撮っている自分です。でもこのように、見てもらいたいと思えるようになったのはnoteを始めたからです。
初めは続かないだろうなと思っていましたがまだやっていますね。急にパタリといなくなるかもしれませんが。そしてnoteの使い方、多分間違ってるんだろうなとは思いますが、最後まで読んでいただいた方ありがとうございました。