アンリ・ベルクソン「物質と記憶」を考える(覚書)
・(覚書)アンリ・ベルクソン「物質と記憶」を考える。
この「物質と記憶」は、アンリ・ベルクソンが、哲学的な視点で心身問題(Mind–body problem)を扱った書籍だ。
それは、「イメージと文化」を考える時、その視線にあるアートのエリアにも言える事だろう。
アンリ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson,1859-1941/仏-哲学者)1929年、ノーベル文学賞。
従来型の認識論の限界を超えた、実証主義の手法を取り入れた。
そこが、ベルクソンは生の哲学と言われる由縁かも知れない。
持続の相(外見)のもとで、直感により、、生きた現実が把握される事になる。
ベルクソンの視点は、哲学や心理学が陥ってしまったドグマ(ogma/宗教上の教義、また、独断的な説)、閉域を打ち破るものとしての価値といわれる。
*ポイント:物質と記憶の一考として、「身体とは、動いて止まない実存であり不可分だ、時間性と空間性を切り開く平面上(現在のすべてのイマージュ)の点から、自分の記憶の中に蓄積された。想起の全体。」
1)二元論を超える。
ベルクソンの思想は、経験主義と知性主義、あるいは実在論と観念論の二元主義を超える視点だ。
2)「イマージュ」(英-image)の再認について
今日の必脳問題への関心に於いても、重要な身体図式のポイントだ。
・諸表象の列を終わった後には、それらの未端(terminer/仕上げ)が作られている。
・記憶と脳を考える時
記憶の2つの形式を考える
2-1)過去は2つの異なる形式で存在する。
(a)運動の機構
(b)独立した想起(思い出す)の中で
2-2)現在の対象の再認識は
・対象から生じる時は運動で
・主体から、由来するときは、表象で行われる。
(註)犬が、うれしそうに吠えて、すり寄ることで犬の主人を出迎える時。犬自身は主人を再認識している。
p140 fig
記憶の想継起する諸段階で、無再現に反復される。
3)「イマージュ」の残存
記憶と精神:現実的運動は、1つの事物の移送というより、1つの状態の移送である。
p191 fig
純粋想起:イマージュ化(imaginer)すること(想像すること)
それは、想起(思い出すこと)すること。
4)表象と知覚を考える
p205 fig イマージュの残存
線A-B 表象:我々が、これから、知覚する表象。
線C-I :すでに、知覚されたものだけを含む。
5)正常な自我は、現在の行動に有効に展開するイマージュと観念
p218 fig
(註)円錐SABによって、自分の記憶の中に蓄積された。想起の全体。
点S:身体のイマージュの凝縮
平面P:すべてのイマージュ
p232 fig
(註)無数の心的性の反復の余地
また、この円錐形は先には、スパイラルを描くのだろう。
・繰り返すが、アンリ・ベルクソンの解釈から、
物質と記憶を考えるとき、「身体とは、動いて止まない実存であり不可分だ、時間性と空間性を切り開く平面上(現在のすべてのイマージュ)の点から、自分の記憶の中に蓄積された。想起(思い出し)の全体。」と考えられる。
(追記)この流れから、「イメージと文化」その「物質と記憶」を考えるに続きます。カルロ・ロヴェッリの持論にもつながります。 そして、アウトサイダーアート(アールブリュット)の原点や、現代アートのロジックの流れにもつながりますので、この後もお時間の許す折、ご覧いただければ幸いです。
1人1人が違う時空間を生きていると、カルロ・ロヴェッリは、そのロジックを展開する。
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