書評:世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書) 山口周 著
書評:世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書) 山口周 著
・申し上げたいのは、感性は教育されるものではない。
本来のアートの視点(極)は、この書のどこにあるのだろう?
・内容を流れに沿って考えると
本書のテーマは、経営に於けるサイエンス(論理:情報学的な数値データ的視点からの科学的な理論展開に無理はないか?)とアートの相克において、直感が正解に導くと解く。
サイエンス重視の分析・論理・理性からの意思決定のいわゆる「正解」は、スタンダードなコモディティ(Commodity/商品)だ、ただ、それは現在、情報スキルの限界だろう。
それだけでは、今日の多様化、そして、不安定化した世界的なビジネスには対応できない時代に入ってしまったからだ。
造語である、VUCA(不安定、不確実、複雑、曖昧の頭文字)という言葉に象徴されるだろう、今日の「正解」は、果たして正解なのだろうか?
その状況下で、全体像を直感で探るのが、感性であり、そこには「真・善・美」からの構想と想像力を得ることができる解き、そこへ、軸足を置くと言うのだ。
その感性とは、教育される(学ぶ)ものだろうか?
ましてや、視覚分野では、偏在値の高いとロンドンのアートスクールであるRCA(Royal College of Art/美術系大学院大学)での修士号(M.A., M.Phil.)と博士号(Ph.D.)の事例はどう解釈してよいものだろうか?(その偏差の高い大学院で感性を磨くのだろうか、感性は教育では無いのだが)
少なくとも、筆者には、表象というキーワードの本来像を、どう感じているだろうか?
また、世界中のコモディティ(Commodity/商品)が、自己実現的な消費へ向かうと解説する、そして、その自己実現欲求には、感性と美意識が重要と解く。
美意識にて、「ビジョン、行動規範、経営戦略、表現」の4項目の必要性を解く。
そして、世界はロクでもないものなので、「会社を作品と考える」という。それは、ビジネスは表現行為ということである、「美」は、普遍性、妥協性があるとカントの解釈につなげる。
軸という視点は大切だが、果たして、それだけ、だろうか?
アートの多様性からのロジックは、この書のどこにあるのだろう・・
・「世界はロクでもないもの」悲観的に、そう決めつけないで欲しいものだ。
批判だけでは、何も生まれない。
ビジネス、経営を通じて、より良くする事も視野に入れていただきたい。
ビジネス、経営手法において、より良い方向へ導く、手法を常に検討している、方々に失礼だ。
そして、エリートは必要だろう、しかしだ、そうでない人々で、世界は構成されて、その人たちの努力で動かされているのだ。
また、詳細の部分を取られると、アート主導で、生まれたSONYのウォークマンの記述や、スティーブ・ジョブズやインド式の直感性の記述もがあるが、それは、表象であるいう認識があるのだろうか。
ヨーゼフ・ボイスの出てくる項目もあり、特に後半部は、著者の知りうる、そのような美意識や事象の繰り返しになる・・編者の責任もあるだろう。
美意識を鍛えるために絵画や文学に向かおう、と言うくだりに至っては、書籍の文字数を増す要素とも考えてしまう。
著者の専門域の外側なのかも知れないが・・。
この書籍は、2018年度の「ビジネス書大賞」準大賞だ。ビジネスの世界の方なら、まず、読んでおこうと思われるタイトルだ。しかし、中身に至っては、多様に解釈されるだろう。
・繰り返すが、感性は学ぶものではない。
そして・・
「芸術は、作者の極と観る者の極があって成立する。」これは、現在形アートのスタンダードな視点だ。
問題は、エビデンス以前の、そして、美意識を鍛える以前の視点の置き方なのだ。 偏差値の高い教育機関を出たからと言って、美意識がアップする訳ではないだろう。
アートは、その「作品」が表象として語る、ビジネスに、その部分的なところを取り入れて、語るのは自由だ。
表象文化に於る、アートについてや、学際(がくさい/知の共有)についても、正確な認識をいただきたところだ。
ある程度、現在形のアートのロジックの書を読みこなした上で、ビジネス書の視点として、読む分には、自身の軸に、側面的な視点を観ることが出来て良いのかも知れない。
・ただ、危ういウィルスが世界に蔓延する前に書かれた原稿だからかも知れない・・