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愛の力を受け止める -夏目漱石『それから』の面白さ
【水曜日は文学の日】
人の生というものは、平坦に進むものではありません。山と谷があり、多くの人には雌伏期と黄金期があります。
夏目漱石の『それから』は、長編小説としては、「前期三部作」の二作目で、漱石自身の気力が充実した時期の、野心的な試みもある名作です。
誰かが慌ただしく門前を駆けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下がっていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼が覚めた。
主人公の代助は、30になって家庭も持たず、特に定職もつかず、親や兄を頼って金銭にも困らずに暮らしている「高等遊民」です。
一方、学生時代からの親友の平岡は銀行勤めで、代助が昔気にかけていた三千代と結婚していますが、最近は仕事もうまくいかず、夫婦仲は冷めきっている様子です。
代助の縁談の話もあり、段々と接近していく代助と三千代でしたが。。。
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この作品の衝撃は何と言ってもラストでしょう。
狂気と幻想が交じり合った苛烈なスペクタクルであり、これ程劇的な幕切れは、日本の近代小説を見ても、殆どないのではないでしょうか。
それも、魔物や地獄といったある種「人間的」な幻想ではなく、殆ど抽象の域に達した表現であり、異様としか言えないものものしさで読者に迫ってきます。
意外と忘れがちですが、漱石は「世紀末」の人であり、当時の西洋美術や文学の退廃的な世紀末芸術にも詳しかった人です(『それから』には世紀末の耽美作家ダヌンツィオの名前も出てきます)。『夢十夜』や『幻影の盾』といった短編では幻想味もある。
しかし、『それから』のラストはそうした華麗さとは違う、徹底して乾いた狂気です。
漱石自身の小説を見ても、ラストは切れのいい一言でふっと終わるタイプが多く、一番派手なラストなのではないでしょうか(スペクタクル度二番目は実は『吾輩は猫である』のあのラストな気がします)。
順序が逆になりますが、そこに至るまでの過程もまた見事です。
日常会話はノンシャランとして面白い話題をちりばめつつ(当時展覧会があった青木繁の絵画も出てきます)、段々と高まり、ラストに続いていく代助と三千代、平岡の対話は、息苦しいまでの緊迫感に満ちています。
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親友の妻との道ならぬ恋、友情と恋愛のどちらを選ぶか(『こころ』にも繋がっていきます)を、息苦しく長大な対話で真正面から突き詰め、あるいは代助の「ニート」問題、結婚と、普遍的な主題が溶かし込まれている。それでいて小説の面白さに満ちているのです。
なぜ人妻との姦通という主題を選んだのか、多くの説があります。よく言われるのは、漱石が兄嫁の登世を隠れて恋い慕っており、それが反映されているという説。
とはいえその恋愛にも学者によって濃淡あり、はっきりしないところではあります。新資料も出てこなさそうですし、おそらくは漱石の中だけにある、永遠に他の誰にも分からない、創作の秘密なのでしょう。
寧ろ興味深いのは、『それから』が、漱石が最も気力の充実した時期に書かれたということです。
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漱石は大学の講師を務めながら、1905年、38歳の時に『吾輩は猫である』を書き、大好評を博します。続いて『坊ちゃん』や短編を次々に発表し、流行作家に。1907年に教職を辞して、朝日新聞に入社し、職業作家として第一作『虞美人草』を発表します。
1910年の『それから』は、職業作家としては長編四作目。既に地位も確立し、前作の『三四郎』も好評で、彼の生涯でも間違いなく勢いのあった時期でした。『それから』連載の前にはこんな予告を出しています。
色々な意味においてそれからである。『三四郎』には大学生の事を描いたが、この小説にはそれから先の事を書いたからそれからである。
『三四郎』の主人公はあの通り単純であるが、この主人公はそれから後の男であるからこの点においても、それからである。
この主人公は最後に、妙な運命に陥る。それからさきどうなるかは書いていない、この意味においても亦それからである。
ここから分かる通り、『それから』は、最初から明確に『三四郎』の続きであることを意識して書かれたものでした。勿論三四郎と代助は性格も境遇も全く違うわけですが、主題を突き詰め、読者サービスも欠かさず、それでいてラストに一大スペクタクルを出すほどの気力に溢れていたと言えるのでしょう。
次作『門』の執筆後に漱石は胃潰瘍で入院。療養先の修善寺で大量出血し、生死の境をさまようことになります。
『こころ』を始めとする後期作品も名作揃いですが、どこか落ち着いて枯れたような味わいで、人物を冷静に見つめているところがあります。主人公たちが直接動かずに、伝聞が多くなるのもそうした落ち着きの一端であり、病後の漱石の状態を反映していると言えるのかもしれません。
『三四郎』には若さゆえの瑞々しさがあり、主人公の三四郎はどこかぼんやりとしていて、そんな彼をユーモアと暖かみを持って寄り添う感触がありました。
『それから』の代助は遥かに感情的で、向こう見ずであり、その若さが起爆剤となり、代助の恋愛の熱量に描写も染まっていくような熱気があります。ここまで主人公が動き回って主張していく小説も、漱石の長篇小説の中では結構まれであり、その意味でも貴重に思えるのです。
若さゆえの勢いでなく、年老いたゆえの経験と落ち着きでもない、全てのバランスが取れて、その人のポテンシャル以上のものが出せる壮年期というものが、年齢に関係なく、人生には訪れる。
その壮年期の力で、重たい愛の三角関係を受け止めて、正面から描き出したのが『それから』という名作のように思えます。是非その力の高まりを体験いただけれと思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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