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【エッセイ#30】歌は何度も転生する -修道女と、あるスターの話

ある歌を聴いた時、不意にその旋律が頭から離れなくなることがあります。初めて聞いたはずなのに、どこか懐かしい。それも、単なるノスタルジアではない。
 
自分は確かにこの歌を聞いたことがある。今ではないいつか、ここではないどこかで、この旋律を、確かに聞いたはずなんだ。

そんな強烈な感覚が自分を襲う瞬間が、音楽には確かにあります。プルーストの『失われた時を求めて』に出てくるマドレーヌのような、何かを喚起する存在。

そしてそれが、自分にとっては意外な世界を繋げることもあります。


 
フランス、ヌーヴェルヴァーグの巨匠、ジャック=リヴェットが1966年に製作した映画『修道女』は、60年代ゴダール作品のヒロイン女優アンナ=カリーナを主演に迎えたコスチュームプレイの傑作です。


18世紀、私生児のため修道院に送られた貴族の少女が、周囲の冷たい視線や虐待に反抗しながら強烈に堕ちていく様を描く作品です。個人的な鬱映画トップ10に確実に入る、地獄のような映画なのですが、その映画の中で、初見の時、印象に残った場面があります。
 
カリーナ演じる修道女シュザンヌが、修道院でひと悶着起こし、別の修道院に送られます。そこは、慈愛深い女修道院長と、朗らかな修道女たちがいる、今までに比べたら天国のような場所です。
 
シュザンヌは、修道院長の部屋での、修道女たちみんなが集まるお茶会に呼ばれます。部屋の片隅に置いてあったクラヴサン(小さなピアノの原型のようなもの)を見つけ、何か弾くように言われます。

最初はバッハのフーガ風のメロディを弾きますが、抹香くさいと言われ、他の曲を弾くことになります。一人の修道女が『愛の歓び』は? と尋ね、その歌を知っていたシュザンヌは、弾き語りで歌います。

愛の歓びは一瞬しか続かない
愛の悲しみは一生続く
 
私はシルヴィのためにすべてを捨てた
彼女は私を捨て他の恋人の元に去った
 
愛の歓びは一瞬しか続かない
愛の悲しみは一生続く

 優美な旋律に、典雅な歌声。そして最後は軽くみんなで唱和する、美しい場面です。この後更に苛烈な地獄が待ち受ける作品の、束の間の休息のような時間ですが、私が驚いたのは、その歌そのものでした。
 
私はこの歌を、確かに聞いた、どこかで聞いた、大切な曲だった、という思いで胸がいっぱいになったのです。



しかし、この歌自体を今まで聞いたことはありません。それでも、何かを覚えている。特に、「愛の悲しみは一生続く」の、深く祈るような下降する旋律は、私に何かを思い出させようとしている。まるで、前世の記憶が、微かに残っているかのように、私に訴えかけている。そんな風に感じたのです。しかし、全く思い出せません。
 
それから年月が経ち、DVDで見返した時、やはりこの場面の歌に今度も心を惹かれました。そこで、インターネットで調べようと思い立ちました。
 
『愛の歓び』(Plaisir d'Amour)は、フランスの作曲家ジャン・ポール=マルティーニ作曲の歌曲です。この映画の時代と同時代の人なので、曲を使ったのでしょう。18世紀後半の、世俗的な流行歌でもありました。


 (カバーは多くあるが、テンポを落とした、オペラ的な歌唱が多い。この演奏は、伴奏がピアノなこと以外、テンポも歌い方も『修道女』の歌唱に近い)



その作曲家の名前も私にとっては初耳でした。しかし、紹介ページに書かれてあった補足で、ようやく思い出しました。
 
『愛の歓び』は、エルヴィス=プレスリーのNO.1ヒットのバラード『好きにならずにいられない』の原曲です。そう、私は、エルヴィスの歌を覚えていたのです。


 
『好きにならずにいられない』(Can‘t Help Falling In Love)は、エルヴィス=プレスリー1961年の作品です。美しいピアノのアルペジオから、エルヴィスが語り掛けるように、リラックスして歌います。

賢者は言う 急ぐのは愚か者だと
でも君を愛さずにはいられない
留まろうか それは罪だろうか
もし君を愛さずにはいられなかったら

 私が特に印象に残った『愛の歓び』の「愛の悲しみは一生続く」という下降する旋律が、「君を愛さずにいられない」の旋律にそのままなっています。全体的にエルヴィスの方が、ロマンチックな感触があり、『愛の歓び』の原曲の方が、そこはかとない侘び寂びがあるのが、差異と言えば差異です。

エルヴィスの歌う曲には、ロックンロールだけでなく、古い民謡や歌謡曲を原曲としたバラード曲があります。『オーラ・リー』をアレンジした『ラブミー・テンダー』や、『帰れソレントへ』をアレンジした『サレンダー』がそれにあたり、『好きにならずにいられない』も、そうしたヒット曲の一つです。



それにしても、転落していく修道女と、稀代のロックンロール・スター、エルヴィス。言うまでもなく、全く何の関係もない両者ですが、奇妙な共通点があります。それは、何かに閉じ込められた存在だということです。
 
修道女シュザンヌは、最初、自分が修道院に入れられるのが嫌で、修道院に入る儀式を中断し、それを見ていた人たちに訴えかけますが、彼らは何の反応もしてくれません。そして、入った先は、悪い意味で彼女の予想以上の、閉じられた世界でした。そこで彼女はもがけばもがくほど、泥沼に落ちていくことになります。

『修道女』
檻の中にいるようなシュザンヌ 

 
エルヴィス=プレスリーは、1950年代半ばに登場し、若者の熱狂的な支持を得て、ナンバーワンヒットレコードを連発するも、1958年に兵役で従軍。除隊後は、映画に出ることになります。

これは、悪徳マネージャーと言われるトム=パーカー大佐が、ツアーに出す代わりに選択したもので、出来がいいものではないものの、エルヴィス自身は再びヒットを出すようになります。『好きにならずにいられない』も、映画『ブルー・ハワイ』の挿入歌です。

(映画『エルヴィス』では、トム=パーカーを、アメリカの平均的な「よい人」を演じてきたトム=ハンクスがあくどく熱演する)
 


しかし、彼は私生活では、巨大な屋敷に一人閉じ込められ、孤独な生活を送っていました。ロック史上有数の成功をしたシンガーですから、スポーツカーを買ったはいいものの、保険会社に公道を走るのを禁止され、仕方なしに、広大な屋敷の庭を何度もぐるぐる回っていた、という逸話もあります。



シュザンヌにとって、『愛の歓び』は、意に反して閉じ込められた修道院という泥沼の中での、ほんのわずかな憩いでした。そしてそれは、彼女の将来を暗示するような、愛の喪失の苦しみを歌う歌詞でした。

エルヴィスにとっては、『好きにならずにいられない』は、数あるバラードヒット曲の一つとなりました。70年代以降、ややアップテンポにアレンジされ、ライブのトリを飾る曲になりました。それは、有名になるのと引き換えに訪れた孤独な生活を、忘れられる瞬間でもありました。
 
そして、歌詞に準ずるかのように、生き急いで、42歳で亡くなりました。



愛のない場所に閉じ込められた二人が歌う、優美なメロディ。時代も場所も違うのに、それは、まるで彼女たちの運命と響き合って、彼女たちを導いていったかのようです。

そして、歌詞を変えたはずなのに、そのメロディにつくのは、痛みを抱えながら、愛を止められない言葉でした。まるで、旋律そのものが、そんな痛切な言葉を惹きよせているかのように。

あるいは、歌や音楽には、そういう魔力があるのかもしれません。どんな次元もすり抜けて、時と場所によって何度も何度も形を変えて、転生する魔法の力。作った人間が忘れられても、流転をやめない、永遠の力。



評論家のウォルター=ペイターは、著書『ルネサンス』の中であらゆる芸術は音楽の状態に憧れる、と書きました。

それはつまり、音楽の持つ、転生する魔力を手に入れたいと、誰もが望んでいるということなのでしょう。私たちは多くの場合、なぜそれに惹かれるのか分からないまま、その形のない力に導かれているのかもしれません。

それは私自身にも帰ってくる問いです。なぜ、こうした音楽がこんなにも自分を捉えているのか、まだ私自身も理解していません。おそらく、その本当の理由を知るために、私は一生を費やすのでしょう。

この世の外に行けない私たちが、それでも生きているのは、そうした微かな、人それぞれの音楽を探しているからなのかもしれません。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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