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ささやかなミュージカル映画の傑作4選+1

ミュージカルというジャンルは、現在でも劇場は勿論、映画にも熱心なファンがいらっしゃいます。
 
ミュージカル映画というと、やはりMGMの1950年代の作品を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

『バンド・ワゴン』、『巴里のアメリカ人』、『雨に唄えば』といった作品です。ジーン=ケリー、フレッド=アステア、ジュディ=ガーランドといった綺羅星のようなスターが歌って踊る作品群。あとは、『サウンド・オブ・ミュージック』や、『ウエストサイド物語』辺りでしょうか。
 
また、最近でも、『レ・ミゼラブル』や、『マンマ・ミーア』のように、ブロードウェイのミュージカルを映画化した作品や『ラ・ラ・ランド』も大人気ですね。

『ラ・ラ・ランド』



 
私もミュージカル映画は好きなのですが、時折、そのマニエリスティックな踊りや、派手な色の画面構成に、ちょっと胃もたれを覚えることもあります。
 
名人芸とか、大掛かりなモブの乱舞とかでなく、何というかもっと気軽に、ハミングするように歌ってくれるような、爽やかな「歌う映画」。そういうものも観たくなるのです。
 
そこでここでは、そんな気分にも合う、あっさり風味で、歌も楽しめる「ささやかな」ミュージカル映画をご紹介しましょう。どれも、2024年現在配信やソフトで見つけやすいものです。



 
ヴィンセント=ミネリ『若草の頃』


 
MGMのミュージカル映画黄金時代の中でも1951年と割合初期のこの作品は、大掛かりな踊りのない、軽やかな映画です。ジュディ=ガーランド演じる少女の、他愛もない日常が歌で綴られます。

隣の男の子に憧れたり、パジャマパーティをしたり、万博を楽しみにしたり。パジャマパーティでの、妹との楽しい「ネズミの歌」の振り付けも軽やか。日常の中に歌と喜びが溢れています。


『若草の頃』

 
監督のミネリはこの後、『バンド・ワゴン』、『巴里のアメリカ人』、『ブリガドーン』といった、ミュージカル大作を手掛けます。しかし、この作品のような日常の中の歌や踊りは消えていきました。
 
『若草の頃』と違い、これらの作品では、ある種の時代の終わりが描かれること、そして大掛かりな歌や踊りが、しばしば夢の中での幻想になってしまうことに、彼の苦悩が少し見える気もします。




エルンスト=ルビッチ『モンテカルロ』


 まだバレエのような踊りも入っていない、1930年の「歌謡映画」から、この秀作を。なんといっても、ジャネット=マクドナルド(ちなみに第1回のアカデミー主演女優賞者です)が歌う『青い地平線の彼方に』が素晴らしいです。
 
冴えない王子との結婚式から逃げ出した女性が、電車に乗って、歓楽地のモンテ・カルロへ。夜が明けて、やがて自分の新しい人生が始まることを、車窓から差し込む日差しと風にのせて、歌うのです。


『モンテカルロ』

 
 
力いっぱい伸びをして朗らかな笑顔のマクドナルド、そしてそれに呼応するかのような、車窓の外の人々の風景も美しい。映画で歌う場面の中で、私が大好きなものの一つです。
 
その後はちょっと緩いコメディになりますが、全編に、この歌声の伸びやかさが残響しています。




  
マキノ正博『鴛鴦歌合戦』
 
 
日本からは、この多幸感いっぱいの、時代劇ジャズオペレッタの名作を。時代劇でこんなに軽やかなステップがあっていいのかと思うくらいの楽しさです。
 
1939年の、日本映画最初の全盛期とはいえ、正月映画が流れた穴埋め用に、セットを使いまわしで、ほぼ一週間の撮影期間で撮られた驚異の作品。
 
浪人の武士と、彼に思いを寄せる町娘、それをとりまく男女に、町娘の父(骨董品好き)や、殿様まで入り乱れての大騒動が、軽やかなジャズ歌謡(「ジャズ」ではなく、あくまで「ジャズっぽい」のが素晴らしい)で歌われます。

『鴛鴦歌合戦』


 
ディック・ミネの演じる道楽殿様が歌う『僕は殿様』のおかしさ。あと、志村喬(黒澤明『七人の侍』、『生きる』で主演した、あの重厚な演技の名優です)って、こんなに歌が上手かったのかと感心してしまいます。
 
そして、傘を使った、華やかなラストまで、慎ましやかだけど、幸せいっぱいな空気で映画が満たされています。



 
 
ジャック=ドゥミ『シェルブールの雨傘』
 

「傘」繋がりで、大規模な踊りのない「歌う」映画の代表作としては、やっぱりこの作品も挙げたいです。何せ、多分史上初の、全編が歌になっている、1964年のミュージカル映画です。


『シェルブールの雨傘』


 
何気ない会話、端役の台詞まで全てに旋律があって、さらさらと流れていくこの映画。音楽を担当したミシェル・ルグランの才気が横溢しています。
 
基本的に有名なあのテーマを繰り返し変奏しているのですが、時には囁くように、時には不協和音を伴いつつ、大げさに歌い上げないのがミソ。一部が突出することなく、メロデイがドラマと従ってうまく流れていきます。
 
実は、これは戦争によるすれ違いの、庶民のメロドラマであり、恐ろしく暗い情熱や危うい感情を秘めています。そこを、ジャズとシャンソンを合わせたような軽やかな音楽と、パステル調の色彩で統一された美術で覆い隠しているとも言えます。ラストはそんな苦さを少し感じさせるものです。




 
さて、今まで挙げてきましたが、案外少ないような気もします。やはり、ミュージカルのあの華やかな踊りは、歌と強く結びついているのだなあ、というのは、改めて思った次第です。
 
先日、『ビフォア・サンライズ』という映画を観ました。これは、旅先の電車の中で偶然出会った男女が意気投合して、翌日に別れるまで、ひたすら会話をして仲を深めていくという映画なのですが、これで同じようなシチュエーションを、ミュージカル(踊りなし)バージョンで創れないだろうか、と思ってしまいました。

『ビフォア・サンライズ』



一組のカップルの何気ない、他愛もない日常がある。そこには歌が溢れていて、二人は歌を交わすことで、時には共鳴し、時には不和を感じながらも、自然に愛を確かめ合う。
 
ただ時を過ごしていくことの美しさをリアルな状態で捉えたような映画。そんな未だ無い映画を夢想してしまいました。




 
先に述べたように、ミュージカルというのは、歌と踊りの不自然さを隠すため、美術や衣装が派手になり、誇大妄想の夢や、その破綻としての狂気、諦念とすれすれの展開になる傾向があるように思えます。

それもまたこのジャンルの大きな魅力なわけですが、歌というものが、自然と流れてくるような作品。私たちの人生のようなものとしての歌、自然なミュージカルを考えることはできないだろうか、と思うこともあります。

「ささやかなミュージカル映画」というのは、そうした私の夢想の扉を開いてくれる、一つの鍵となる名作群なのです。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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