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【創作】シェイクスピアの旅行記【幻影堂書店にて】


 
 
雨の日のいつもの帰り道、光一はその古書店を見つけた。
 
こんなところに本屋なんてあっただろうか。なぜ住宅街の真ん中にこんな古ぼけた書店があるのだろう。

光一はそう思う間もなく、吸い込まれるように、本屋に入っていた。




中は落ち着いたアンティーク調の家具や本棚に、本が山と積まれている。大きな蓄音機があり、壁には古い地図のような物も飾ってある。薄暗い照明で落ち着いていて、心地よい暖かさだった。
 
「いらっしゃい」
 
奥のカウンターから声がする。
 
そこに、一人の少女が座っていた。

ゴシックな黒い服を着て、俯き加減に本を読んでいる。
 
仄かに光を発しているかのような佇まいと、絵のような美しさに見惚れた。
 
少女は光一の視線に気づくと、本を置き、ふっと微笑む。左目が赤、右目が青色に染まっているのが、ランプの光で分かった。
 
「ここに来た、ということは、お探し物があるということね」
 
「いえ、探し物なんて」
 
「いいの、分かるから。君も表の世界にいられなくなったのね。一緒に見つけましょう」
 
光一がぐっと唾を吞むと、少女は、クックと笑って頬に手を当てた。
 
「大丈夫、ちゃんと後で君のお家には戻れるよ。君はどうしてこんなお店を見つけたんだろうって思っているでしょう」
 
少女は首をすっと伸ばして光一を見る。
 
ここは幻影堂書店。時空の狭間、世界の裏側。現実にはない、全ての可能性の芸術が集まる場所。
 
君が探していたものが、ここで見つかるかもしれない」




「僕は・・・」
 
光一は言葉を出そうとしたが出てこない。
 
ここには、一度来た気がする。初めて来たのに、すごく懐かしく感じる。非現実的な場所のはずなのに、心は恐ろしく落ち着いている。
 
この少女にも、どこか、ここではないどこかで会ったような気がしていた。




少女は、手元から古ぼけた藁半紙を出すと、美しい唐草模様の入った万年筆を手に取って書く。
 
「お名前を教えてくれる?」
 
かがみ光一こういち
 
「光一君ね。私はノア。よろしくね」
 
「君は・・・ここで働いているの?」
 
ノアは静かに笑った。
 
「私は、時の囚われだから」
 
その言葉の意味を聞こうとする前に、ノアは、藁半紙をカウンター横のボードに、鋲で貼り、光一に呼び掛けた。
 
「どれか好きな本を一つとってごらん。まずは、そこから。一緒に探しましょう」
 
ノアの言葉は、玲瓏とした響きを持って、有無を言わせない威厳に満ちていた。




光一は、横にあった本棚の中から、出鱈目に一冊を取り出した。緑色の装丁の、薄い古ぼけた本だった。ノアは興味深そうに光一の手元を見つめる。
 
「それはシェイクスピアの旅行記だね」
 

ウィリアム・シェイクスピア


「シェイクスピア? 『ハムレット』とかの?」
 
「そう、君は知っているみたいだね。シェイクスピアは、イギリスの劇作家。『ハムレット』、『マクベス』、『オセロー』、『リア王』は、四代悲劇と呼ばれている。それ以外にも、『ロミオとジュリエット』や『ヴェニスの商人』など、世界の文学史に残る文学者の一人。
 
彼がスコットランドに旅行した時の、印象をまとめた本だ」
 
「そんな本、聞いたことない」
 
「言ったでしょう。ここは、可能性の集まる場所だって」
 
シェイクスピアの全集が出たのは、彼の死後だった。彼が、自分の出版を生前に認めたのは、二つの叙事詩だけであり、それも、ペストが流行して、彼が座付きの劇団の経営が苦しくなった時だった。

その後も、恐らくは彼の同意を得ずに出版された戯曲はいくつかあるものの、最後まで、積極的に出版しようとしなかった。
 
「どうしてか分かる?」
 
「劇団で、実際に上演していたから?」
 
「そう、戯曲を出版してしまったら、他の劇団でも上演できてしまうし、興行にお客さんがこなくなってしまうかもしれない。当時は著作権もあってないようなものだし。

それに、劇団で上演していくうちに、役者に合わせて台詞を変えていくこともよくあったことでしょう。読む戯曲にそれ程重点は置いていなかったはず」
 
ノアはすっと右手を光一の方に伸ばして、勧める。
 
「だから、その代わりにこんな本が生まれるの。出版嫌いの彼が、お金でも、誰かに捧げるでもなく、自分のために書いた本。装丁されて、このお店に流れ着いた。読んでみて」




光一は、ページをめくった。それは、古い英語で書かれており、一瞬ひるんだが、眼を通すと、言葉が理解できて、中身が頭の中に入ってくる。
 
急に風が差し込んできたようだった。風光明媚なスコットランドの山々や古城を巡る。
 
輝かしい朝日を見て、まるで今にも動きそうなくらい不気味な深い森の中で迷い、蔦に満ちた古城の石畳を歩いていく。

古城の中の階段や部屋は、幽霊が出てきそうな暗さだった。

そして、湖のほとりでは強烈な嵐に襲われ、命からがら、洞窟に避難した。それは、現実の旅そのものだった。




光一が本から顔をあげると、そこは、先程の古書店だった。
 
ノアが微笑み、静かに口を開いた。
 
「シェイクスピアの作品の中には、旅が沢山出てくる。それは、舞台上には出てこなくて、劇の進行の前に台詞で言及されるのが殆ど。だけど、濃密な放浪の記憶が、そこかしこにこだましている。
 
『リア王』のように、そんな濃厚な旅が表に出てくる場合もあるね。


『リア王』より
さまようリア王と愚者


今、君が少しだけ読んだ旅の光景も、きっと彼の作品のどこかに紛れ込んでいるでしょう。彼の戯曲を読んでみれば、何かを見つけられるはず」
 
「僕は・・・この光景を見たことがある」
 
「そうでしょう」
 
その時、壁の柱時計が鳴った。
 
「時間が来たみたいね。また会いましょう」
 
「僕は、戻るのか?」
 
「ええ、君はこのお店を出る。この本は、君が本当に探していたものじゃなかったみたいだね。棚に戻しておいてね。もしかしたら次は、君が探しているものを、見つけられるかもしれない」
 
「次?」

「君は、またここに来る」 

ノアはゆったりと立ち上がって、光一を見つめた。
 
「ここを出たら君はここを忘れる
君が体験したことを覚えていても
その内容は思い出せない
 
アイスのように溶けて、甘い後味だけが残る
それが、この幻影堂書店を訪れること
また雨の日に、いらっしゃい」
 



 
(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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