見出し画像

霧の街の神話 -シャーロック・ホームズを巡る随想


 
 
【水曜日は文学の日】
 
 
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 
さて、新年初投稿は何にしようか考えていたのですが、私のルーツというか、最も影響を与えたものについて書こうと思います。




幼少期の私に最も影響を与えた文学、それは色々考えると、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズのような気がします。
 

阿部知二訳のホームズシリーズ表紙。
今でもKindleで読むことができる。


図書館にあった阿部知二訳の「シャーロック・ホームズ」シリーズに夢中になったわけで、今でも私は推理小説には「点数が甘い」ところがあります。それはSF小説に対してとは対照的です。
 
「タイムマシン、人工知能、星間戦争、エイリアン」。こうした用語を見るとどこか意気阻喪して、SF名作でも読むのに覚悟が必要なのに対し、「殺人、アリバイ、容疑者の証言、密室トリック」といった用語を見ると嬉しくなって、ひどい推理小説を読んでも「まあ、楽しめたしいいか」となってしまう。これはもう個人的な「アレルギー」のようなもので、その根源には「シャーロック・ホームズ」があるのは間違いありません。
 
といっても、私は推理小説のトリックを吟味してマニアックにそれを検証するタイプではなく、というか読んでも大抵犯人は当てられずに、それを気にすることもありません。殺人という謎が提示され、それがほどけていくその感触が好きなのです。
 
そして、シャーロック・ホームズとワトソンの冒険は、そのほどける謎が、友情を示すジェントルな会話と、19世紀のイギリス・霧深いロンドンの空気感を濃密に纏っているゆえに、大好きだと言えます。

謎がロジックの積み重ねによってやがて消え、最後は「ワトソン君、下宿に戻って朝食としよう」となるそのパターンが、都市生活者の生きること自体の、ある種のエッセンスを掴んでいるように思えるのです。


シドニー・パジェットによる
『ストランド』誌での挿絵


ホームズの生みの親のアーサー・コナン・ドイルは1859年、スコットランド、エディンバラ生まれ。父親は市役所に勤める設計技師でした。しかし、アルコール中毒で後に精神病院に入院してそこで一生を終えています。
 

アーサー・コナン・ドイル


母親メアリは下宿屋を営んで家計を助け(ホームズの下宿生活が細かく描かれるのはこの影響でもあります)、アーサーは裕福な叔父の支援を受け、エディンバラ大学医学部に入学。

卒業後医師として開業するも、まったく暇で、その傍ら書き始めたシャーロック・ホームズシリーズが大ヒットしたというのは良く知られています。
 
もっとも本人は『勇将ジェラール』(最近、光文社古典新訳文庫で新訳が出ました)シリーズ等の歴史小説こそが自分の本領と考えており、執筆に疲れ一旦『最後の冒険』でホームズを退場させるも、あまりの要望の多さに『空き家事件』で「生き返えらせる」等、最後まで自分が生み出したホームズに対してはアンビバレンツな態度でした。1930年、71歳で亡くなっています。




ホームズ関連の書物で私が今まで読んだ中で一番衝撃的だったのが、小林司・東山あかね著『裏読みシャーロック・ホームズ ドイルの暗号』なのは断言できます。


『裏読みシャーロック・ホームズ』
表紙


河出文庫版の翻訳を手掛けた、精神科医のシャーロッキアン(熱心なホームズファンのこと)夫婦による、ホームズやドイルを巡る随筆を集めたこの本で驚いたのは、ドイルの母親に関する記述です。
 
母メアリは下宿屋を開いたのですが、その下宿人の一人、15歳年下の医師ウォーラーと恋に落ちたというのです。

夫が入院する二年前に生まれたドイルの妹はウォーラーの子とも言われ、メアリとウォーラーが生涯住んだ村では、公然の秘密でした。そしてヴィクトリア朝時代の倫理観では受け入れられないその関係は、ドイルにとって生涯隠すべき家族の秘密になりました。
 
本の中では、その村に実際訪ねて手がかりと証拠を追うのが簡潔に記述され、その秘密がホームズシリーズのそこかしこにこだましていることが解き明かされます。
 
『ボヘミアの醜聞』でなぜ短編第一作なのに「性的なスキャンダル」の露呈に怯える依頼人を書くのか。『花婿失踪事件』で、父の死後に「15歳年下」の男性と再婚した母を持つ「メアリ」・サザランド嬢が、「結婚詐欺」に遭い、この三人が最後にどういう結末を迎えるか、等。
 
ここら辺は、なるほどなあと思いながら読んでいたのですが、ホームズシリーズに出てくるメアリという名前の登場人物は9人いて、全員が悪人か不幸な結末を迎えるという記述にはショックを受けました。
 
一つ一つ挙げられる作品は、思い出してみれば確かにその通りであり、なぜ気づかなかったのか思うと同時に、無意識に表れる、母親に対するドイルの愛憎のどす黒い強烈さに、何か見てはいけないものを見てしまったような気分になりました。


シドニー・パジェットによる
『ボヘミアの醜聞』
『ストランド』誌での挿絵


プルーストは評論『サント・ブーヴに反論する』で、作品の中身を作家の生涯にひとつひとつ紐づけるような批評を批判しています。私も同じ考えですし、著者が精神科医だからとはいえ、『裏読みシャーロック・ホームズ』の、全てをドイルの無意識下の欲望の反映としてしまう読みには、少し抵抗感があります。
 
しかし、同時にある意味正しい読みとも思います。先に述べたように、ホームズシリーズは、ドイルが自分の代表作になるとは考えずに、手すさびのように気軽にさっと書いたものです。それゆえに、彼の無意識が相当程度に生のまま表れているようなところがあります。
 
それゆえに、この作品はそのまま、19世紀の最先端都市ロンドンの夢、無意識、秘密と空気感を閉じ込めることに成功しているように思えます。


コンサートを楽しむホームズ




そして何より、天才ホームズと、彼を補佐するワトソンという、フォーマットを生み出したことが、この作品の功績でしょう。
 
それは都市に生活して、家族の血の絆の薄い独身者たちが、友情によって闇にロジックで光を当てていく物語です。
 
グラナダのテレビシリーズやベネディクト・カンバーバッチ主演のドラマだけでなく、ホームズに関係ない作品でも何度でも再利用されるそのフォーマットは、19世紀の近代都市が生み出した新しい神話であり、そんな神話のエコーは、今でも私たちの心の中に響いてきます。
 

現代に舞台を移したBBCのテレビシリーズでの
ホームズとワトソン


そして、その神話には、抑圧された性や妄想、欲望といった人間の深い闇が隠し味のスパイスとなって沈殿しています。

それゆえに、結末を分かっていても何度も読み返したくなる、私たちの中に染み渡る複雑な味わいを持った神話となっているのでしょう。そんな作品を持つことは、私たちの人生の深みを増すことに繋がると思うのです。


シドニー・パジェットによる
『ストランド』誌での挿絵



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。

楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。


いいなと思ったら応援しよう!