情熱が夢を描く -名作映画『白い足』の魅力
【木曜日は映画の日】
情熱は、ある種自分の常識や人生を超えている面があります。
いや、自分の人生を超えるぐらいでなければ情熱と呼べないのかもしれない。それは滅多に出会えるものではありません。
フランスの映画作家ジャン・グレミヨンが1948年に監督した名作映画『白い足』は、そんな狂気にも似た情熱の様相が刻まれた、見事なドラマです。
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舞台はブルターニュ地方の漁村。魚商人で酒場も経営するやり手の中年男性ジョックが、若い愛人オデットをパリから連れてきます。
そこへ、崖の上の城の城主の伯爵、いつも白いゲートルを履いている変わった男がやってきます。ジョックの店の店員で、伯爵を密かに慕うミミが、「白い足」を囃し立てる子供たちを追い払い、面識を得ます。
そして伯爵と、伯爵の腹違いの弟で定職につかずにぶらぶらしているモリスが、オデットを見初める。こうして、五人の愛憎と欲望の輪舞曲が始まります。
グレミヨンの映画の特徴は、破滅的なまでに情熱的な欲望の交錯です。
『白い足』では、登場人物全員が、生々しい欲望に囚われています。
若い美女を手に入れたい。お姫様みたいな綺麗なドレスを着たい。貧乏な彼氏でなく金持ちと結婚して、贅沢な生活をしたい。
本当にそう思っているのか?
グレミヨンは彼らの欲望を、複雑に交錯させます。そうすることで、彼らの心の奥底にあって、彼らを駆り立てる、隠された情熱を剥き出しにします。
その情熱は、ある種の過去(例えば先代の伯爵の存在)に属していて、今ここにはなく、殆ど現在の生活を破壊するような、致命的な夢を見させます。
そして大事なことは、彼らはその夢に(文字通り)死ぬまで忠実でいることです。
なぜなら、人生を越えたその夢こそが、自分自身なのだから。
破滅的なまでの貪欲な姿が、卑俗さとは無縁の高貴さを醸し出しています。『白い足』では、そんな高貴さとある種の狂気を持った人物達の様々な方向を向いた欲望が、生々しくぶつかり合い、どす黒い叫びと、心が砕ける音がこだましています。
欲望の歯車が噛み合って導く恐ろしい帰結、そして、その果てに見出される、幻想的な夢の美しい発露は、是非ご覧になって、確かめていただければと思います。
ジャン・グレミヨンは、1901年フランス、ノルマンディー生まれ。パリで音楽を学んだ後、映画館で伴奏音楽を弾いていたことをきっかけに映画界入りした変わった人です。
教育映画やドキュメンタリーを多く撮り、1927年に長編劇映画デビュー。実験的な無声映画を撮って活躍も、商業的には厳しい状況でした。
トーキーに入り、ジャン・ギャバン、ミレイユ・パラン主演の1937年『愛慾』が成功して復活。40年代はフランスがナチス占領下の困難な状況でも『曳き船』や『高原の情熱』等名作を製作。
1959年に、58歳で死去。遺作は53年の『ある女の愛』です。
ヒット作も少なく、大戦期の作品なこともあって、「呪われた映画作家」と長らく評されていましたが、その強烈なドラマにより、近年再評価が進んでいます。そして、私の最愛の映画作家の一人でもあります。
グレミヨンの映画には、経歴に沿ったような二つの側面があります。
一つは民衆や地についた生活を捉えるドキュメンタリー的な側面。
フィクションであっても、その土地の空気感を生き生きと捉えられる才能。『愛慾』の乾いた南仏の空気や『白い足』のブルターニュの海岸と風すさぶ切り立った崖は素晴らしい。特に、とある人物が崖の上から海と花嫁の行列を見おろす美しいショット。
更に、彼は性別や階級に囚われず、プロフェッショナルな職業を丁寧に描きます。
『曳き船』の船乗り、『高原の情熱』の鉱山労働者、『この空はきみのもの』では女性飛行士、『ある女の愛』では島に赴任した女医等、現代から見てもモダンな感覚です。
彼が優れているのは、そうした土地の空気や手仕事が、人物達の私的な面に結び付いているのを示すことです。
それが、グレミヨン映画のもう一つの側面、シュルレアリスムに影響を受けた、破滅の愛に繋がります。
シュルレアリスムといっても、ダリのように変わった絵ではない。人間の無意識や夢に潜んでいる隠された欲望を探求する、冒険的な側面です。
『白い足』や避暑地のホテルを舞台にした『高原の情熱』のような輪舞曲のように絡まり合う欲望のメロドラマ。
そして、『曳き船』や『この空は君のもの』のように、職業と、夢、私的な愛の間でもがく人々のシンプルなドラマ。
『白い足』は、ちょっと設定を変えれば、現代日本の地方都市を舞台に置き換えても、全く違和感がない。普遍的な愛と夢を扱っているのです。
シュールではないと言いましたが、グレミヨンの映画には、突然理解不能な不思議なイメージが出てくることがあります。
『曳き船』の、夢のように真っ白な砂浜。『この空は君のもの』の恐ろしい群集の声。『白い足』の、とある人物の手紙を持ってくる、悪魔のような顔の少年、断崖の上の魔女のような老婆、そしてあの「夢」。
それらと対照的に、いつまでも果てしなく続くような、人々の活気ある美しい踊りのシーンがあります。
まるで、人生というダンスの輪の中から弾き飛ばされた、孤独な情熱を持つ人物たちの熱を帯びた夢が、フィルムに刻み付けられたかのようです。
それは、私たちの現実と夢のドキュメンタリーとも言えます。
現実に生きる生活と、生きる場所の空気感というパブリックな面と、私たちを魅了して現実以上を夢見させる情熱という、プライベートな面の、二つの側面を捉えた映画。
つまり、私たちの人生を光と影の両面から見つめ、本当の欲望、自分自身を探すことを促す、鏡のような力強い作品です。そこに映る自分自身の情熱こそが、私の本当の人生なのかもしれません。
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