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【創作】歌う大聖堂 第3話(終)


 ※前回はこちら



  
 
私たちはカストルプ氏の言葉に、呆然となっていました。まだ「歌」は響いています。シスター・マリアは、恐怖のあまり、目を剥き出して、何故か私を睨んでいます。
 
カストルプ氏は、ゆったりと聖堂を見回しています。あかあかと灯った電灯で四隅を仄かに照らされ、その他の部分は闇に包まれています。カストルプ氏は歌にじっと耳を澄ませています。
 
すると彼は急に、祭壇の前で、両手を挙げました。そして、歌に合わせてゆったりと腕を振ります。目を瞑って、まるで歌を指揮しているかのようです。
 
それから少し経つと、段々と歌のピッチが下がってきました。そうすると、徐々にメロディのテンポも落ちてきます。
 
そうして、音量自体も下がってきます。そして、最後の断末魔であるかのように、掠れたような音が響くと、音は鳴りやみました。カストルプ氏は腕を下ろして、不敵な笑みを浮かべ、私に冗談を言いました。
 
「私は指揮者になる才能はないな」
 
「これは一体、どういうことでしょうか」
 
「歌ではないのだよ。行ってみようではないか」



 
怯え切っているシスター・マリアをマルガレーテが支えて、何とか歩かせて、私たちは修道院長の元に行きました。カストルプ氏は尋ねます。
 
「院長先生、お伺いしたい。聖堂の3階席の裏には、何部屋ありますかな」
 
「3部屋ございます」
 
「その中で、ここ最近使っていなかった部屋は?」
 
「ええと、映写機のある視聴覚室ですかね。昔はここで映画を上映するという試みをしていたことがあったのですが、今は使っておりません」
 
「それは、3つの部屋のうち、中央にある部屋ですね」
 
「はい、そうです。どうして・・・」
 
「その部屋に入りたいのですが、可能でしょうか」


 
院長先生は快諾して、私たちは部屋に向かいました。私たちが今さっきまでいた聖堂の、後ろの方にある階段を登ります。3階まで登ると、祭壇と十字架を見下ろすことが出来ました。
 
灯りを持った院長先生がドアに鍵を入れると、怪訝な顔になりました。
 
「開きませんね」
 
「もう一度、回してくださいませんか」
 
「ああ、開きました」
 
「おそらく、誰かが入っていたのですよ。御覧なさい、床の埃に、足跡がついているでしょう」
 
確かに、その部屋のドアの前だけ、誰かが踏んだ跡がありました。

部屋の中に入ると、そこは木造床の、小さな執務室のような場所でした。部屋の片隅に、金属の長い棒と、大きな映写機が置いてあります。

窓は、開け放たれていて、月光が差し込んでいました。
 
「見たまえ」
 
カストルプ氏が、窓を覗き込んで、私たちを手招きしました。下を見ると、工事現場の白い光が灯り、工事作業の人たちがたむろっています。
 
「エキスポ招致用のセレモニーのための工事だ。昼間見て、関係者と話をしてきたのだよ。あの工事は、この3日間、休止していた。丁度、シスター・マリアが見回っていた時だ。今夜再開すると聞いて、あの歌が聞こえると思ったのだ」
 
「あの歌は、彼らが歌っていた?」
 
「いや、人が歌っていたのではない。ここから工事の作業音が入るだろう。地面をドリルで掘る轟音や、鉄骨を組み立てる時の金属音、ジェネレーターの低音といったもの。そうした音が、ここから入り込み、増幅されて、聖堂の中に響いていったのだ。
 
それが「歌」の正体だ。
 
真夜中には工事が休憩時間になるのも聞いていたから、音が止むのも分かっていた。先程聖堂の祭壇で聞いたところ、音量は左右で差がなく、後方から音が来るのは分かった。
 
後方の上を見ると、明らかに部屋と廊下がある構造になっている。とすれば、その中央部に、音が漏れる場所があるはずだと思ったのだ」
 
「こんな小さな窓からですか」
 
「その通りだよ。この聖堂を創ったリッピは大変音楽好きで、今でも通用するレベルの高い音響を兼ね備えたホールも創れた。気付いたかね。先程私たちがいた聖堂の裏には工事する人々が集まっていた。しかし、全く聞こえなかっただろう」
 
私は頷きました。確かに、歌が聞こえるまでは、全くの静寂に包まれていました。
 
「ゴシック期の建築家の中でもリッピの音響センスは、ずば抜けていて、殆ど外の音を遮断して、密閉して響くような聖堂を創りあげていた。そうパンフレットに載っていたよ。

人のお喋り程度では、決して音は入り込まない。しかし、どこかに穴があり、工事の轟音が響いた時、音が入ってくる」
 
「しかし部屋のドアは閉じられていました」
 
「そう。おそらく、その音は直接響いてくるものではないのだ。おそらく、この部屋のどこかに穴がある。そこから、音がどこかに漏れ出して、響きが増幅され、この世のものでない音となる。

空気が抜けるような穴があるはずなのだ」
 
「旦那様、こちらです。見てください」
 
マルガレーテが部屋の隅で声を上げました。そこには、ロープと、映写用の部品らしき、カメラ型の機械と、フィルムの入った丸い缶、そして、その横に、一メートル台の黒々とした小さい穴が木の床に空いていました。



 
「こちらで間違いないようですね」
 
「ふむ、情景が浮かぶな。誰かが最近この部屋に入った。埃っぽい部屋に耐えかねて、換気のために窓を開ける。部屋を物色していくうちに、カメラか、フィルム缶を落として、床に穴をあけてしまう。
 
しかしその人物は、穴を見て何かに気づく」
 
「旦那様、どうやら、この下に部屋があります」
 
「そうだろう。そして、このロープを使って、入ってみることにした。おそらく、棚に括り付けていたのだな。跡がある。

しかし、最後に入った時は、棚からロープの先に着けていた金具が外れてしまったようだな。外れた瞬間、おそらく驚いて手を離して落下してしまい、ロープだけは引っ掛かってここに残った」
 
院長先生が怯えたような声を上げます。
 
「部屋なんて。この場所には、この階の部屋しかないはずです」
 
「なるほど。秘密の部屋ということですな」
 
カストルプ氏の言葉に、マルガレーテは、少し緊張した声で言いました。
 
「入って、調べます」
 
「頼む。ミチキ君、マルガレーテと一緒に調べられるかね。ロープはまだ丈夫なようだ。私たちで支えよう。院長先生、何人か人を呼んできてくれますかな」

 



 
シスターたちが4人がかりでロープを持って、まずはマルガレーテ、次いで私が、人が一人ようやく通れるような穴から下に降りました。
 
部屋は思っていた以上に天井から床までの距離が遠く、ようやく足をつけると、ミシリという音がして、埃っぽい生暖かい空気がこみあげてきました。
 
「ミチキさん、見てください」
 
マルガレーテの促す声がします。明かりのする方に眼を向けてみると、小さな窓があります。そこからは、先程まで私たちのいた、聖堂の祭壇と、信者たちの座る席が見えます。ここは一階だったのです。
 
「こんな窓があったのか」
 
「おそらくですが、これはマジックミラーのようになって、外側からは分からない仕組みになっているのではないでしょうか。私はあそこにいても全く気付きませんでした」
 
「確かに。後方から、聖堂で祈りをささげる人たちをここで監視していたかのようだ」
 
「はい、そして、同時に、この絵を眺めることができたのですね」
 
マルガレーテがさっと懐中電灯を上げると、窓の上方と左右に、色鮮やかな絵が浮かび上がりました。左側には赤いローブを纏った聖母、右側には羽の生えた白い衣装の天使、そして、上方には、雲間から見下ろす神の姿があります。
 
恐らくは別々の祭壇画を組み合わせたようです。聖母や天使の顔は、特徴的なファン・エイク風だというのが分かります。闇のなかで観るその絵は、壮絶な美しさでした。
 
「見てください。ここ」
 
マルガレーテが床を指します。そこには、点々と黒い跡がありました。
 
「多分、ロープから落ちて、その人は頭を打って、出血して気を失った」
 
「ええ。そして、目を覚ますと、あのドアに向かったのですね」
 
懐中電灯が指す、部屋の一角には、かがんで入れるくらいのドアがありました。床の血が点々とドアまで続いています。

私たちがドアノブを開けて出ると、そこは、聖堂の外でした。誰もいない、ひっそりとした裏の一角です。工事現場とは別の裏のようで、工事音が遠くから響いてきます。
 
「その人は、ここから外に出て行った。おそらくは、スコーヴァさんは、ね」
 
私の言葉に、マルガレーテは、ほおっと息を吐いて、心から安心した声で言いました。
 
「よかった。死体を見つけるかもしれない、と思ったんですよ」


 
その明くる日、スコーヴァさんの居場所が分かりました。彼女は小さな村の病院で寝込んでおり、ようやく目を覚ましたのでした。身分証明書も持っておらず、誰か分からないでいたということです。
 
彼女の証言で、今回起きたことが分かりました。彼女は、聖堂の見回りをしていたところ、あの3階の部屋の鍵が壊れていることに気づき、中に入ったそうです。

そして、中を見ていたところ、カストルプ氏が推測したように、部屋に穴をあけてしまい、秘密の部屋があることに気づいた。好奇心旺盛な彼女は下に降りて、あの祭壇画を見つけたとのことです。
 
彼女は、「歌」の効果にも気づき、窓は開けっぱなしにしていました。何かこれで、「歌う大聖堂」とでも言うようなアトラクションにして、人々を呼び込めないかと思ったといいます。
 
ある夜、モース氏にファン・エイクのことを打ち明けると、モース氏は豹変し、その絵の場所を教えるように迫ったといいます。

良くない彼の噂を思い出した彼女は、しつこく迫ってくる彼から逃げ、夜の巨大な聖堂内を駆け回って彼をまくと、あの部屋に逃げ込みました。あそこの鍵が開いていることは誰も知らないと思ったからだそうです。
 
とりあえず、下の秘密の部屋に降りようとしたところ、金具が外れて、床にたたきつけられて気を失いました。目を覚まして、外に出た時は夜のままで、聖堂の裏を歩いたところで気絶してしまったそうです。
 
その後、彼女を見つけた人がおり、その人が病院に担ぎ込んで、今まで治療を受けていたとのことでした。
 
秘密の部屋には調査が入り、正式にファン・エイクの祭壇画と分かりました。モース氏は、スコーヴァさんの証言を認め、クビになったとのことです。




 
帰りの電車の中で、カストルプ氏は、いくつか補足してくれました。
 
「まあ、初めからいくつかのことは分かっていた。まず、あのモース氏は、本当にスコーヴァさんの行方を知らない。

でなければ、警察以外に事を荒立てることを自分から行うはずがない。そのような度胸もなさそうだというのは、怯えきった眼から分かった。そして、歌が聞こえたというのも、嘘をついていないと思った」
 
「最初から変な音はないかと、聞いていましたね」
 
「パンフレットに音楽家にして建築家と書いてあったからね。何かしらの仕掛けが込められた場所だと思った。

あの部屋は、ある種の音響調整室も兼ねていたようだ。そこで、信者たちを後方から見ながら、自分はあの祭壇画を見て楽しむ。

ゴシック期において、現代のような芸術家というのは存在しなかった。しかし、創作者の特権で、自分だけのお楽しみの場所を作っておいたのだな。まあ、あそこまでとは想像しなかったが、何か音の仕掛けがあることは想像できた」
 
「それで、音に関する情報が無いか集めていたのですね」
 
「そう、首尾よく、エキスポの工事を知ったので、それと関連付けてみたのだ。夜中に行ってみたら、勘が当たったね」
 
マルガレーテが、ちょっといたずらっぽく笑って口を挟みました。
 
「まあ、私たちが来なくても、スコーヴァさんが目覚めれば、全ては解決していたわけでしたが」
 
その言葉に、カストルプ氏は笑って首を縦に振りました。
 
「その通り。だがね、君たちは、何が出てくるか分からない、という状態であの絵を見ただろう。おそらくは、今まで見たこともない美だったはずだ。

それがつまり、体験というものだ。真の美の体験は、金を払って得られるものではないからね」





(終)



※この文章は、架空の人物・作品・地名・歴史と現実を組み合わせたフィクションです。



(※)前シリーズリンク集(全7話)

(※第1話)

(※第2話)




今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回の作品・エッセイでまたお会いしましょう。


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