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神秘に浸る -タルコフスキーの映画を巡る随想


 
 
【木曜日は映画の日】
 

私が好きな映画の中でも、タルコフスキーは、様々な意味で、今日もアクチュアルな映画監督です。今日は彼の映画と生涯について少し語ってみたいと思います。




アンドレイ・タルコフスキーは、1932年生まれ。父親のアルセニーは高名な詩人で、アンドレイの作品にも彼の詩が出てきます。
 

アンドレイ・タルコフスキー


1954年に国立映画大学に入学。スターリン死去の翌年であり、検閲も緩和され、アメリカ文化をはじめとする西側の芸術や映画を吸収しています。
 
1962年、初の長編映画『僕の村は戦場だった』で、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を弱冠30歳で受賞。第二次大戦の少年斥候の任務と、彼の失われた幸福な少年時代の幻想を描き、絶賛されます。
 

『僕の村は戦場だった』


中世のイコン画家の苦悩と民衆のパワフルな生態を描く歴史映画の二作目『アンドレイ・ルブリョフ』も傑作に仕上げると、1972年にはSF映画『惑星ソラリス』を監督。

惑星の波動によって死んだ妻と同じ姿の生命体と出会う男の、思索と瞑想に満ちた美しい映画で、こちらもカンヌ国際映画祭で賞を獲ります。
 
自伝的で詩的な断片を集めた秀作『鏡』の後、1979年に『ストーカー』を監督。「ゾーン」と呼ばれる謎めいた廃墟を探索する男たちを描き、監督本人も最も気に入っているという傑作。しかし、ソ連当局の検閲に引っかかり、タルコフスキーは、出国します。
 
イタリアのトスカーナで、望郷の念に駆られるロシアの詩人を描く『ノスタルジア』を撮った後、亡命を宣言。

1986年、スウェーデンで、愛好していたイングマル・ベルイマンのスタッフで、自己犠牲によって世界と息子を救おうとする男の葛藤を描く長編七作目『サクリファイス』を撮影。どちらも映画祭で複数の賞を撮り、名声は高まりますが、肺がんに冒され、同年、54歳で亡くなっています。


『サクリファイス』


タルコフスキーの映画の特徴は、水に満ちた神秘的な自然描写です。
 
 
『僕の村は戦場だった』の少年が潜行する湿地帯から、『惑星ソラリス』のそよぐ水草、『ストーカー』、『ノスタルジア』の廃墟をひたひたと満たす水、遺作の『サクリファイス』に至るまで、画面のあらゆる場所に水が横溢し、催眠的な長回しで捉えられます。
 

『ストーカー』


廃墟だけでなく、『鏡』の緑鮮やかなロシアの夏の森や、『ノスタルジア』の湖水地方の透明な光等、自然そのものが神秘の輝きに満ちています。その中で、ある種の神秘や救済を求めて苦悩する男たちが描かれる。
 
そうした特徴が、彼を孤高の映像詩人、体制になびかず自分の世界を創りあげて亡くなった殉教者のような立場にしています。




ただ、タルコフスキーをある種の殉教者と言ってしまうと、何か違う気がします。
 
確かに、検閲を受け、亡命を宣言していますが、そもそも彼はソビエトのエリートでインテリです。一作目から優れた詩的な作品で西側からも高評価を受けていたため、体制としては自分たちにとって、大事な「手駒」だったはずです。
 
『僕の村は戦場だった』から『惑星ソラリス』までは、「戦争映画」、「歴史伝記映画」、「SF映画」と全てジャンル映画であり、国内でもかなり観客に見られていました。それらが一変するのは『ストーカー』でした。
 
西周成氏による優れた評伝『タルコフスキーとその時代-秘められた人生の真実』には、『ストーカー』撮影時の生々しいトラブルが記録されています。

 


肥大化するエゴや取り巻きたち、とりわけ彼の信望者だった妻の悪影響、それらによる、スタッフとの修復不可能な軋轢。そして、出来上がったのは、いかなるジャンルの名も拒む、娯楽どころか、芸術家としての意図すら判別の難しい、異形の映画。
 
『ストーカー』こそが、タルコフスキーにとっての「ポイント・オブ・ノー・リターン」だったのでしょう。70年代を迎え、かつて優秀なスタッフで彼の映画の基盤を支えたソビエト映画界も、国力の衰えと共に、行き詰まりを見せている。
 
それゆえタルコフスキー自身が、体制に拒否され、亡命する犠牲者(サクリファイス)となることを、必要としていたのではないか。自身の創作の糧として。実際『ノスタルジア』は、そんな彼の切実な思いが、結晶した作品でした。殉教を好む人間は、しばしば、自分以上の世界を求めて、自己を捧げるものです。
 

『ノスタルジア』


そして偶然、病に倒れて異国の地で亡くなったことが、彼の「殉教者」としてのイメージを築くことになった。ただ、そう呼ぶには、彼はいい意味でも悪い意味でも芸術家気質のエゴに満ちた人間であり、もう少し彼の作品を、冷静に見ても良い気がするのです。




そんなタルコフスキーですが、彼に似た映画監督が、いそうでいない存在でもあります。
 
例えば、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフは処女長編『孤独な声』をタルコフスキーに絶賛されて、タルコフスキーを思わせるゆっくりとした超絶的な長回しや、幻惑と思索に満ちた映画を撮っています。ある意味タルコフスキーの正統な後継者とも言える。
 
また、ソクーロフより若いロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフは、やはり処女長編『父、帰る』で、タルコフスキーと同じ、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲っています。極度に台詞の少ない、謎めいた人間関係や、ロシアの自然や廃墟への嗜好等、タルコフスキー的と言われることも多いです。
 

ズビャギンツェフ『父、帰る』


しかし、個人的には、彼らの映画は、タルコフスキーに比べて、クールというか、物事や状況を落ち着いて観察している面が強いように思えます。それは、タルコフスキーに影響を受けたギリシャのテオ・アンゲロプロス等、長回しや移動撮影を好む、哲学的な映画監督たちも同様です。




思うに、タルコフスキー作品のあまり他にない特徴とは、苦悩をさらけ出している点ではないでしょうか。


『アンドレイ・ルブリョフ』


 
世界の破滅、核戦争への恐怖等に浸され、自分が犠牲になることで、全てを救いたいという、狂気に似た熱量。
 
多分、現代が抱える問題を糾弾したり批判したりする芸術やエンタメは結構あります。しかし、多くの人が抱える不安や恐怖に寄り添って、一緒に苦悩してくれるような作品は、案外少ないのではないか。
 
そんなところが、タルコフスキーの作品が、難解且つ見ずらい(あの催眠的な長回しで映画館で寝てしまうというのが、昔よく言われていました)にもかかわらず、今もなお愛好者を増やしている原因の一つのように思えるのです。


『鏡』

 

私が、これはタルコフスキー的な作品だ、と感じたことがあるのは、映画ではありません。2010年に発売された『LIMBO』というゲームです。
 
主人公の男の子が、妹を探して森の中の廃墟を進むというアドベンチャーゲーム。台詞どころか説明文もなく、全編モノクロの光と影の森と少年の探索は『僕の村は戦場だった』を思わせ、音楽がなく、水音と廃墟に響く金属音は『ストーカー』や『惑星ソラリス』を想起させます。
 

『LIMBO』
©Playdead


デンマーク人の開発者たちは、映画学校に通っていたことがあるとのことで、当然タルコフスキーの作品も見ていたでしょう。

このゲームは、娯楽やジャンルから逸脱していったタルコフスキーの映画が、他の媒体にも転写することができるくらいの、詩的な独自性を持っていたことを示しているように思えます。詩と映画を横断できたタルコフスキーにふさわしい「応用」でしょう。
 
そして、プレイ画面を見ていると、改めて、タルコフスキーの作品が、全てある種の冒険映画だったことにも気づきます。不確かな森や廃墟の中を、自分の大切なものを求めてさまよう映画。それは、タルコフスキー自身の生の軌跡でもあり、その軌跡こそが、ある種の神秘と言えると思うのです。
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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