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夢の川を超えて -映画『近松物語』の魅力


 
 
※木曜日の映画の投稿の代替です。
 
 
芸術的とは何か、というと色々定義はあると思いますが、作品に描かれている以上の何かを感じられるか、という点もあると思っています。
 
溝口健二の1954年の映画『近松物語』は、優れたドラマであり、そんないい意味での芸術的な香気に溢れた名作です。

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京都経師屋(障子やふすまを作る職人)の手代、茂兵衛は、主人の妻の「おさん」から、兄がお金に困っていることを相談されます。ふとした行き違いや欲望の絡み合いで、不義密通の疑いを掛けられる二人。
 
周囲から追い詰められた二人は、当てのない逃避行へ向かいます。。。
 

『近松物語』
左:茂兵衛(長谷川一夫)
中央:おさん(香川京子)


この作品は映画を構成する要素が、とにかく一級品です。
 
監督溝口の右腕、依田義賢による、近松門左衛門の人形浄瑠璃劇を基にした脚本は、溝口が最後まで気に入らず、撮影現場に黒板を持ち出して当日書き直していく過酷な制作状況だったとのことですが、依田本人が最高傑作と認める、彫琢されたリアルな台詞と無駄のない筋運びが見事です。
 
撮影の宮川一夫は、黒澤明『羅生門』で知られる名カメラマン。溝口とも『雨月物語』等で組み、墨絵のような何層にも分かれた白黒の柔らかい色調、流水のように緩やかで滑らかな移動撮影は、素晴らしく美しい。
 

『雨月物語』(1953)


水谷浩による美術には、襖や障子が幾重にも重なった幾何学的かつ自然な屋敷のセットがあり、絵画を観るような快楽を味合わせてくれます。
 

『近松物語』


録音の名手、大谷巌は、後半の森での香川京子の絶叫のようなクリアな音響や、静寂に満ちた会話をヴィヴィッドに捉えています。音楽の早坂文雄は、彼が手掛けた黒澤明『七人の侍』とは全く違う(ちなみに『近松物語』と同年の作品です)、音数の少ない薄い音楽で、幽玄な冷気を醸成しています。
 
爛熟を迎えていた日本の映画撮影所の、技術の粋を全て結集したかのような、見事な作品です。




そしてそれら全てが、突出することなく溶け合って、茂兵衛役の長谷川一夫、おさん役の香川京子をはじめとする役者陣の熱演とアンサンブルに、輝きを付与しているのが良い。
 
削ぎ落されて均整のとれた美と、一直線に堕ちていく男女を捉える様は、殆どギリシャ悲劇的な明晰さを感じさせます。そしてそれゆえか、最早江戸時代の喧騒を超えた妖気が、全編に漂ってくるのが凄まじい。
 
例えば、前半の屋敷は、障子や襖で幾重にも区切られ、梯子や階段が絶えず空間を捻じ曲げています。男女のあくどい欲望や打算が張り巡らされ、息がつまるような圧迫感を与える、昏い迷宮のような場所になっています。
 

『近松物語』


そして、何と言っても、茂兵衛とおさんが舟で漕ぎだすあの、夜の川。
 
薄い月明かりのような仄かな光の中、波一つない、黒々とした静かな川。まるで、夢の中のような、あるいは冥界に繋がる三途の川のような、幽冥且つこの世を超えた神秘的な場所になっています。
 

『近松物語』
左:おさん(香川京子)
右:茂兵衛(長谷川一夫)


私たちは映画で例えば「これは三途の川です」と説明されても、ああそういう設定なんだな、としか思いません。実際に見たことが無いからです。
 
しかし、生が終わって死に向かう静けさと、全てを飲み込むような暗い闇という、ある種のイメージは、多分多くの人が持っている。そうした神話的な空気感が確かにここにはあって、この世を超えた場所という、物語以上のイメージが立ち現れるのでしょう。
 
最上の芸術から味わえる空気感、そしてあらゆるどす黒い欲望を潜り抜けた先の、茂兵衛とおさんが選んだ結末は、是非ご覧になって確かめていただければと思います。




監督の溝口健二は、1898年、東京の本郷生まれ。画家を志すも、目が出ずに職を転々とするうちに、1920年に撮影所に入所。助監督を経て、1923年に監督デビューします。
 

溝口健二


1925年には、同棲していた女性との痴話喧嘩により、剃刀で背中を切りつけられるというスキャンダルを起こすも、翌年には『紙人形春の囁き』、『狂恋の女師匠』等、江戸時代を舞台にした凄惨な恋愛劇で高い評価を受けます。

後年、依田や後輩と一緒に風呂に入った時に、背中の傷を見せては「なに、君、これくらいないと、女は描けませんよ」とよく言っていたとのこと(それは自慢できるようなことでしょうか・・・)。
 
その後スランプはあったものの、トーキー、戦争を駆け抜け、1950年代には『西鶴一代女』、『山椒大夫』、『雨月物語』が、三年連続でヴェネツィア国際映画祭で受賞する等高い評価を受け、ゴダールをはじめとするヌーヴェル・ヴァーグにも影響を与えます。1956年に病気で58歳で亡くなったのは、早すぎた終わりでした。


『狂恋の女師匠』(1926)
原作は円朝の『真景累ヶ淵』
故淀川長治が絶賛していたことで有名だが
作品は現在失われて観ることはできない


溝口がデビューした1920年代初頭は、映画史的には、まだ撮影所黎明期。彼も、下っ端から比較的すぐにデビューし、様々なジャンルの作品をやつぎばやに撮っています。
 
コメディは勿論、『血と霊』という『カリガリ博士』のような表現主義劇や、怪盗ルパン(!)の名作の翻案『813』まで撮っており(その大半が今は失われているのが残念です)、決して時代劇で女性の情念を描くだけの監督ではなかったのが興味深いところ。
 

『血と霊』(1923。フィルム現存せず)
のゆがんだセット場面


例えば、少し後に監督デビューした小津安二郎や成瀬巳喜男は、割と長篇初期から自分の得意なほのぼのコメディやメロドラマに照準を絞っていたのに対し、溝口にはもっと雑多な嗜好を感じます。
 
まあそのお陰で、同時代の批評から「信じ難い愚作」や「こんな馬鹿なストーリーがどこの国にあるのか」等罵られるレベルの失敗作もある(これらも残っていないのが残念)のですが、寧ろ、そうした映画を経ることで、どんどん自分が本当に描きたいもの、描けるものを見定めていったようにも思えます。
 
そして、現代とは違う、戦国~江戸を舞台にした幽玄な空気の舞台での、人間の恋愛や業を見つめる劇という、自分が最も得意な「型」を見つけ出し、サイレントから、トーキー、戦前、戦後まで何度も繰り返し作り、研ぎ澄ませていった。
 
『近松物語』は、そんな研鑽の結果、殆ど透明なまでの美しさが滲み出るようになった名作映画であり、情熱的でリアルな人間劇でありながら、神秘的な闇と静けさに満ちた作品なのです。
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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