創造を特別視しない
(毎日クローズドで周りの人に発信してる"織田日記"から、一般向けに発信しても面白いかも、というものを時折noteに載せています)
先日、ある教育イベントにインタビュアーと、その後アート関連ワークで登壇をしました!
その際に出したワークが
自分の好きなアニメや漫画(その他なんでも)を題材に、
3メートル四方の空間を如何様にも使って、
良さを伝えてください。
というシンプルなワーク!
シンプルながら、
・参加者は誰?
・その導線は?
・視聴、鑑賞、以外の参加者の関わり方
・その展示までの時間もデザインする
などをデザインすると、いっくらでもやりようがあり、無限大!
ただ、その箱を使って、自由に!としても思い浮かばないかも、と思う中、
自分の好きなアニメや漫画を伝える、
という名の表現。
好きな作品とかって、もう前のめりに良さを伝えたくなりますよね!
でも、驚いたのは、中にはそのお題を飛び越えて、わずか7,8分の時間の中で
"人間は絶滅する"というテーマの展示なども出たり、
展示の仕方の工夫も様々。
■創造を特別視しないこと
そしてここからは自戒の念というか、憧れもあるのですが、「創造を特別視しない」について。
実際アーティストと呼ばれる人の多くも、細かく分解したら、何かと何かの組み合わせを使って表現していて、
ガウディすらも"芸術は何かと何かの組み合わせ""私は自然の中で学んだことを組み合わせてる"という’編集的'なものとしてアートを捉えていたと聞きます。
そんな中、先日のワークで自分も改めて気づいたことであり、かつ、
僕の大好きな、世界一の創造的な料理家、元エルブリ(ジ)のファラン・アドリアさんも
"創造を特別視しないこと"
と解いていました。
このワークでも、授業でも、いかに創造すること自体は、特別なことではないことである
というのを改めて感じました。
みんな表現者である、というのが個人テーマです!
もちろん、そこから突き詰める、届けるなどはまたまるっきり違う世界がありますが、
その入り口を広げることは、織田がしている起業支援、アートなど全てにおいて、
織田自身が「世界全員がアーティストになる」を目指しているその目標にも合致して、
という自分のエゴでもありますが、この追い求めたいことに向かう上で、改めて創造を特別視しない、を意識したいし、広めたいなーと思いました!