空間の美しさとは? Part.1
空間を知るって、どういうことなんでしょう。
紙面に縦線と横線を引けば、水平と垂直はすぐに描けるけど、奥行きはどう表現する?
まずは、絵画から探ってみよう。
古代ローマや、中世時代は、数学的な根拠のないまま、なんとなく奥行きがあるっぽく、こんな感じかなーと、表現していた。
なんとなくの奥行きでも、ぐっと、深みがでてくる、1300年代の絵。
マリア様と幼子キリストが座っている玉座の後ろに、聖人を重ねて描くことで、二人の背後に、聖人がいるんだなぁ。と、感覚的に空間をつかめる作品。
作者は、ジョット・ボンドーネ。フィレンツェを拠点に、パドヴァ、アッシジ、ローマ、ナポリ、ミラノetc..と、1200年代から1300年代にかけて、移動しながら作品を残します。
ジョットに関しては、
こちら↓でも登場しています。
1400年代に、マザッチョという画家の描いた、聖三位一体。キリスト、神様、精霊が、一体であるという、キリスト教の教えに基づいた絵です。
本当にアーチがあるような、立体的な構図。
絵画の変遷を追ってみると、面白い。それぞれの時代で、奥行きを出すために、試行錯誤して、試して、工夫していたんですね。
「なんとなく」から「ちゃんとした」空間へ
3枚目の絵を描いたマザッチョ。彼がこの作品を描くにあたり、アドバイスを求めた友達がいます。
長い世紀を経て、「ちゃんとした空間」に果敢に挑んだ人物です。
彼の名は、フィリッポ・ブルネレスキ。
生誕:フィレンツェ
生年月日:1377年。正確な日付は不明。
職業:建築家、エンジニエア、芸術家。
代表作:ドゥオーモのクーポラ
ある日、ドゥオーモの前を歩きながら、洗礼堂をなんとなしに眺めていた、その瞬間に、ぴかっ!と、閃めいた!
8角形をした洗礼堂
ドゥオーモの正面扉の真ん前に立つと、視線の先には、洗礼堂が建っています。
8角形をしているこの洗礼堂は、正面中心から縦割りすると、きれいな左右対称のデザインになっています。
下図で、赤文字「EST」と記載あるのが、東側の意味で、洗礼堂の正面。
こんなにもリズミカルな構成で建てられた、フィレンツェの洗礼堂。
といわんばかりに、大きくて、美しい、3色カラーのドゥーモの前に、凛と建つ姿。
献堂式の年はわかっていて、1059年! 1000年以上、ずっと、そこに建っています。
1296年に建てられたドゥオーモは、洗礼堂と比べると、新しい建物。いまこの時代に生きている私達なんて、とても小さなポチっという粒くらい?
普段は何気無しに通っている広場。フィレンツェを訪れる方も、ドゥオーモに圧倒され、背後にある洗礼堂には、あまり注視されませんが、昔と変わらぬ姿で、いま建っていることに、驚嘆し、感謝の気持ちが込み上げてきます。
実は、意外にも、謎に包まれた祠。洗礼堂が建つ前は、なにが建っていたのか、諸説はいろいろあるけど、いまいちはっきりしない。いつ建てられたのかも、誰が建てたのかも、不明。
東ゴート王のトーティラが、フィレンツェを侵略している場面。トーティラの在位は、541年 - 552年ということだから、すでにその頃から洗礼堂は建っていたのか? この絵は、1200年後期の歴史家ジョヴァンニ・ヴィラーニの年代記にあるもの。
1000年代のフィレンツェは、海軍国ピサと比べると、人口も少なく、誰にも注目されない小国だった時代。そんな時代に、これだけの建物が作られたことも、不思議。
そんな謎の多い、白と緑の2色の大理石で装飾された幾何学模様の、フィレンツェの洗礼堂。
フィリッポの大発見!
フィリッポ君は、そんな洗礼堂の正面をしげしげと見つめ、一旦、自宅に戻り、再び、ドゥーモ正面扉前に立ってみた。
手には、洗礼堂を描いた板と、鏡。
板絵に描かれた洗礼堂の正面扉には、小さな穴が開けられている。
おもむろに、この小さな穴から、洗礼堂を覗き込み、向こう側に鏡を置いてみることにした。
そこに通りかかった、ドナテッロ。
ドナテッロは、ルネサンス初期を代表する彫刻家。ローマへの旅も同行するほど仲が良い二人。
これが、空間なんだ!
なんとなくの空間じゃなくて、ちゃんと計算して、調和のある美しい空間を作ることができるようになるんだ!建築にも、絵画にも、彫刻にも、応用できるはずだ!
これは、後世にずっと生き続ける、とても大きな発見です。
日本語では、遠近法、透視図、総括してパースとも呼ばれています。
左図の三角形の頂点が、消失点と呼ばれるところで、ここでは、洗礼堂の扉の正面。この消失点を基準にし、手前へ、左へ右へと、視覚的に空間を広げることが可能になります。
洗礼堂を上から見た図と、横から見た図。洗礼堂の、この利用方法、かなり斬新。
余談ですが、この題名で書こうと思っていた矢先に、撮影現場に居合わせました。なんという偶然!
ルネッサンス時代の服を着て、いかにもそれっぽい!しかも、手には、洗礼堂の描かれた板絵を持っている!ドナッテロ君も、隣に居合わせている。まるで私のために、現れてくれたよう 笑 。完璧です。
絵画で空間を作ってみる
フィリッポ・ブルレスキが、遠近法を発見したのが、1416年。
フィリッポは、24歳年下のマザッチョとも仲良し。たぶん、弟のように可愛がっていたのではないだろうか。
その頃のブルネレスキは、4つの事業を掛け持ちしていて大忙し。それでも、興味が惹かれた。建築じゃなく、絵画で応用する、またとない機会。
二つ返事で、快諾したブルネレスキ。
二人で、あれやこれやと、話し合いながら、マザッチョが完成した作品を、もう一度、見てみましょう。
下図の、黄色と赤色の三角形で、それぞれの消失点から、空間が描かれているのがわかります。ここでは説明していませんが、キリストのおへそが消失点になり、空間を広げていたりもします。
空間を捉えると、こんな感じ。
ちなみに、一番手前にいる左右のお二人は依頼人です。依頼人は、恐れ多い神のお膝下で、小人のように小さく描かれるのが定番でした。
それが、聖三位一体のこの絵では、生きた人間も、神と同じ等身大で描かれています。この絵を見た当時の人々は、さぞ驚いたことでしょう。
まさに、リ=再生 ナッシタ=誕生。神が世界の中心だった中世時代から、人間が中心になる、ルネッサンス時代を象徴する作品です。
ちなみに、透視図を、色で表現する空気遠近法というものもあります。こちらも、あらゆる芸術家が試みますが、完成させるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
エンジニアとしても、科学者としても、明晰な頭脳とセンスの持ち主の彼が、フィリッポの後継者であることは、間違いないでしょう。
遠近法を発明してからのブルネレスキは、フィレンツェにいくつかの建築物を残します。
これらすべてが、華美な装飾をせず、均整の取れた構造で、建物と空間の美しさを演出しています。
今回は、遠近法の発明と、絵画を案内しましたが、次回は「空間の美しさ」を体感できる、ブルネレスキがフィレンツェに残した、建築物を探訪してみましょう!
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次回につ・づ・く。
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参考文献と掲載写真
La grande storia dell'Artigianato by Giunti Editore S.p.A
Le cupole sotto il cielo di Firenze by angelo pontecorboli editore
Associazione Fillippo di Ser Brunelleschi
National Geographic