人はひとりで生まれてきてひとりでこの世を去る摂理の中にあるもの
おばあさん、いつもありがとう。
キリスト教の中にある。
ひとりでこの世に生まれてこの世を去るときもひとりだ。だから、なにをうばわれても、恨むこころは出さないと。
私は、素晴らしいと思った。
そして、何も持たないでこの世を去るべき時が来たら、神に従う。
そんな、立派なことが出来るだろうかと、思った。
私は、祖母にほぼ育ててもらった。
祖母は91歳。
私には、母であり、父であり、祖母であり、祖父であり、親友である。
厳しく、優しい。
今でも。
私が、オギャーと生まれてきた世界に、おばあさんは、存在していた。
どんな時も一緒に耐え、一緒に喜び、生きている。
突然、在宅のdoctorに
「覚悟していてください。もう十分がんばってこられた身体ですから。好きな物を食べさせてあげてください。」
え。。。?。。。何?
そんな世界ってないのです。
私とおばあさんはいつも一緒なのに。心が叫ぶ。
それから、毎日辛い。
死にたいとも、思うときがある。
おばあさんの覚悟も感じる。
生きて!生きて!
神様、お願いします。
奪わないでください。
今も、その叫びは心を占めている。
でも、おばあさんは「生と死」を私に教えてくれている。
身体をはって。心から。
確かに、一緒について死ぬことは出来ない。
ほんとうに、ひとりで生まれて、ひとりで去るのだ
ただ、祈りは共にある。
もし、その日がきた時のため、祈ろう。
私の気持ち、愛を、悲しみも、持っていってね。
いつも、忘れない。
あきらめられない。
でも、運命は、あるのだから。
再生とは、朝は暗い夜から始まること人から教えてもらった。
本に書いてあったようだ。
生きること、死をも教えようとして、守ってくれるおばあさん、
ありがとう。
ありがとう。
いろんなこと、気づいたよ。
いつもありがとう。
大好きだよ。
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