久しぶりに日記を書く候。 句点の直前に漢字がある状態が新鮮で好きだ。収まりがよい。 今日は朝から引っ越しの見積もり。そのあとちょっと寝て、ささしまライブでお寿司。県美に行くはずが眠くなって帰宅して、ケルアックの『オンザロード』を少し読んで、お腹が減って、オートミールクッキーを焼いて食べた。 それから眠って起きると20時で、またお腹がすいて、もめん豆腐とじゃこ、納豆、からし菜のサラダ、かぼちゃを食べる。 寝てるか食べるかしていないことが不安になって、走りに行く。ジャージを
漢方の先生にあまり良くなりませんと状況報告したら、甘いもの控えて過食やめてねって、先月言われたことと全くおんなじことを言われたけど、まだ甘いもの食べてると思ってるのか? もう言われた通りにちゃんとやってるし、やってるんですけど治りませんって言おうかと思ったけど、口答えしてるみたいになりそうだからぐっと堪えた。最近こういう、ぐっとこらえるみたいなことが増えていて、堪えられるだけ大人になったのか、それでも家に帰ったらずっとモヤモヤして、そしたらかえってオートミールを過食してしまっ
多くの人がそうであるように私ももれなく読書が好きで珈琲が好きだ。 変な話、文字を見ているだけでドキドキするし、本を開いて読む人の姿を眺めるだけでいいなあと思う。珈琲にいたってはもうほとんど飲めていないのに、匂いだけで満足できるし、これまた人が飲んでいるだけでなんだかうれしい。 私はただ単にイメージがすきなだけなのかもしれない。 思い出してみれば塾に通うのは嫌でも、雑誌で特集されている「気になるあの子の持ち物」みたいな括りで塾バッグの中身がずらっと並べられて、その中にかわい
最近はヘトヘトになるまでみんな働きづめだ。 見ているとハラハラして、無理しないでといいたいけれど、無理をしないではいられない状況なのはよくわかるので、何も言えずオロオロしている。 だれも爆発して大泣きしたりしないのが、不思議だ。 わたしはこの前のアトピー大爆発から、おっぱいアイスみたいにぱんぱんに張り詰めていた我慢の袋が破けてしまって、少しの不快感も耐えられない身体になってしまった。 21時まで平気で残業できていたのが嘘みたいだ。いやで嫌で仕方ないし、前よりも星が飛ぶ(貧血が
ほんの一歩だけどわたしは自分の本当の気持ちの端っこを掴むことができた。神さまがわたしに授けてくれた方法で。 ほんの一歩、でも大きな一歩で、ついつい先週のわたしは、自分に本当の気持ちがあることすら気がつかなかったのだ。 本当の気持ちだと思って主張していたのはほとんど他人の気持ちで、わたしのものではなかった。 もし、この世の中にわたしのように、感情を社会や他人に託してしまって、錯乱している人がいるのなら、その導き手となれるように生きれないだろうか? 自分の気持ちの端っこをつか
いつも体が教えてくれる。 心も体だと三木茂夫が言っていたけど、本当だと思う。 鬱病は現代の病気だけど、お腹の痛みや不眠、頭痛など、心からの小さなサインを、いつも薬で塗りつぶすようになった私たちを、休ませるための最終手段なのかもしれない。 小さなままで対応して居れば、あのとき塗りつぶすことがなければ、こんなにひどくなることも、長引くこともなかったものを、と思っても、私たちは日々過剰な欲望に駆られ、もっともっとと思ってしまう。 私の好きだったあの子もあの人も、鬱になって、実は今も
ただ、原因は入り組んでいる。問題はスパイスではなく、バイトの忙しさかもしれないし、仕事のストレスかもしれない。
思えばわたしはすでにシステム化するためのものを試している。スリランカカレー屋は、初めて行った時、重くない小麦使ってない野菜たっぷりで、日常的に食べるのに適しているかもと思った食事だ。ただ一つ、バイト以降で体の反応が出始めたとき、スパイスの刺激が合ってないという不安が芽生えた
夏目漱石の『草枕』が好きだ。全部読み切ったのかどうかすら思い出せないのだが、冒頭の部分だけでも何十回と読んでいる気がする。 どんな現実も詩にすることができる。恐ろしい現実も詩のこころで見れば、その現実をとらえなおすことができる。そんなことを、旅先で詠む主人公の言葉から何度も考え、励まされてきた。 大学を卒業するかしないかのとき、就職を決めるころ、この本をどれくらい読んでいたかわからない。心にもなかったかもしれないが、文学に浸りきった四年間で自然と、仕事として本に携われなくて
誰かの日常に併走する
昔からよくある、冒険物語の主人公が道に迷い、疲れ、途方に暮れたときに不意に現れる、あたたかい光を灯した赤い屋根の木の家に住むおばあさん、彼女は主人公をたらふく食べさせ疲労を癒したあとで、何か主人公をハッピーエンドに向かわすような啓示をくれる。 わたしは、そんなおばあさんのような人に憧れていた。自分が主人公なのではない。あくまで主人公が前に進むための手助けをする人にすぎないのだが、ある主人公の物語の傍で、なぜこんな僻地にたった一人で住むことになったのか、ぽつりとつぶやいた真理を
太宰治の女生徒や保坂和志のプレーンソングが、好きなわたしは大丈夫だ。きっとどんな日常も愛することができる
身体に力が入らないずっと
自分が本当は何を望んでいるのか、何がしたいのか、わからないまま日々が過ぎるのが苦しいな。スリランカカレー屋のバイトはすごく楽しいけど身になっている実感がない。料理も楽しいけど前持っていた情熱があっさり下火になってしまった。体調を崩して体力を失ったり、全然お肉を食べなくなったという体の変化が原因でもある気がする。 最近は本屋に行くとゾクゾクするくらい楽しくて、紙の質感だけで興奮したりする自分も、家で何もせずゴロゴロしたいと思う自分も本当なんだから疲れる。こうやって何もしないまま
体が拷問されたみたいに傷だらけで、ただ薬なしでやっていきたいと思って努力しているだけなのに、正しく生きようとするのは大変だなぁ。薬なしでこんなに辛いなんてだめだよなぁ
人材不足対策として、実用化ロボットの開発に多くの人の時間が費やされることで、さらに人材が不足する。最後はロボットだけが残る。 仕事してるとよくわからないけど、目の前のタスクしか見えなくなっていって、どうしても頑張ってしまう 頑張ってしまえば本末転倒なことまで、頑張ってしまう