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光が見えたかもしれない話

夏目漱石の『草枕』が好きだ。全部読み切ったのかどうかすら思い出せないのだが、冒頭の部分だけでも何十回と読んでいる気がする。
どんな現実も詩にすることができる。恐ろしい現実も詩のこころで見れば、その現実をとらえなおすことができる。そんなことを、旅先で詠む主人公の言葉から何度も考え、励まされてきた。

大学を卒業するかしないかのとき、就職を決めるころ、この本をどれくらい読んでいたかわからない。心にもなかったかもしれないが、文学に浸りきった四年間で自然と、仕事として本に携われなくても、生活をつづけながら、生活の中で直面する違和感を種として、本や人に出会い続けたい。生活から問いを得て、答えを探しに出かけていきたいと思うようになった。
例えばつらい、差し迫った毎日に、漱石の『草枕』のような、芸術の心でほんの少しの隙間風を作るようなことができたら……そんな探究の繰り返しで、自分という人間をとにかく深めていきたかった。どこに向かいたいのかも、わからなかったけど。

文章を書くようになった中高生のころからずっと、そんな自分自身のデバッグやアップグレードを繰り返してきたように思う。目の前に降りかかってきた出来事や現象に自分がどう感じ、応答する。それを通して、潜在的な自分の思考の傾向、欲求、癖が明らかになってくる。本当はどうあるべきなのか、そこをもとに考える。書くことを何も考えることがないような時も、今日の出来事、思ったことを連ねていくだけで自分の目の動き、癖がわかり、問いが生まれることもある。
自分というソフトにブレイクポイントを貼って、ある経験、環境をもう一度再現してみる。正しい動きをしているか、検証する、いわゆるデバッガの役割を「文章を書く」ことで行っているような気がしている。

三年前に晴れて社会人になったわけだが、私の目標は「生活をつづけながら、自分という人間のデバッグをしていく」ことが目的だったので、やりたい仕事というのがよくわからなかった。社会に何が必要で、自分はどういう居場所で生きていけばいいのか、その時は一つも思いつかなかった。ともかく焦らない、困ったことがあったら文章の種にしよう、それが積み重ねになるということを何度も自らに言い聞かせ、何度も忘れ、また何度も言い聞かせた。今でもよく忘れる。

ただ私は甘かった。
どうにもこの前提となる「生活をつづける」が一番難しい。私は大学まで温かい何不自由ない家庭でぬくぬくと育ち、もちろん学校で、部活や人間関係で学生らしく悩んだり挫折したりもあったけれど、「生活」という前提をあくまで守り続けられてきた。だから「生活」はいつも透明で、そんなことよりももっと精神的な、抽象的なことばかり考えていたし、それを人間のあるべき立派な姿だと思い込んでいた。哲学書や小説を読まない人間は、愚かだと思っていた。
だからこそ、社会に出て悩むのはきっと、会社の人との人間関係や仕事の仕方のことばかりだと思っていて、そういう精神的問題だけを対象にして、本や芸術に出会うための種にしようと思っていた。

『本を気持ちよく読めるからだになるための本』(松波太郎)が最近出版されたが、もうタイトルからしびれた。以前の自分には響かなかったであろう本。本を読むには、そのための身体が必要だ。そして仕事をするにも、問題は身体から切り離された精神ではなくて、身体というベースがととのっていなければ何もできないのだと思い知らされた。身体は、「生活」から生まれる。身体は心に作用し、心もまた身体に作用する。

会社に入ってから半年後の名古屋事業所配属で、私は初めての一人暮らしを経験している。三年目の今までに、はじめは胃の不調、胃酸の過剰分泌や便秘、吐き気、そのあとにもともと不安定だった生理が三か月以上こなくなり、最終的にアトピーが再発して、心身ともにめちゃくちゃになっていった。精神的な向上をやみくもに追い求める以前に、もっと物質的で具体的な向上が必要だった。

今年の一月に出会った『助かる料理』(按田優子)は私の今最も大切にしている本だ。私はこの本に出会ったとき、こんなにゾクゾクさせられたのは初めてで、その理由がわからないまま、私は食が好きなんだ!按田優子さんのようになりたい!飲食に転職する!とつい昨日まで考えていた。
ただアトピーの再発まで経験した自分のこれまでを振り返って、ようやくこの本を探しあてた「(潜在的な)自分の問い」(出会いの種となるもの)とは何かを考えたとき、自分自身の有りたい姿(思想、そしてその思想と密接に関わり合う身体の状態、思想を実現するための身体の状態)を明確に持ち、そういった具体的な自分の要件に従って、生活をシステム化していった自立した按田さんの手つき、それが制御の効かない体を持て余していら自分にとっての答えだったからこそ、響いたのだろうとようやく気が付いた。
彼女には明確にこうありたい「健康」の形があり、それをぶれなく続けていくための仕組みを作っていった。彼女のいう「健康」は身体を動かすための「心」ももちろん含んでいる。精神的健康、身体的健康。そして彼女はそれをこれは自分にとっての健康であり、そのためのシステムであるから、あなたはあなたにとっての健康とそのためのシステムを模索してゆけよ、と背中を押してくれているのだ。決して誰かのものではない、あなたの健康を、と。

おいしそうな写真、丁寧で素敵な暮らしの写真、誰かの活躍している姿、成功までの道筋、雑誌で切り取られたそんな一ページは、どんなに今の自分が欲しているものでなくても、簡単に欲望を掻き立てられる。私はフォンダンショコラなんて欲していなくても、とろ~っていう動画を見ているうちに、なんとなく食べたいような気がしてきてしまう。小さいころから料理をしていれば、簡単に料理人になれたような気がしてきてしまう。

他人の欲望を模倣する、そんな空回りをどこかでずっと続けてきたようなきがするのだ。だから私は部屋がめちゃくちゃだ。ずっと使い続けているものはほんの一部で、自分に合わなかったものが大量に埋まっている部屋は、数々の他人の欲望を、追い求めてきた結果なのだ。

他人の欲望、あるいは欲求だって、ちゃんと考察すればそこには問いがあったかもしれない。でもそれを知らずに模倣するようでは、切れ切れの、必然性のないもので、本来自分が欲求するべきものがどんどん見えなくなっていく。そうやっていつまでも真に満たされることなく、部屋は不要なもので充満していく。やっぱり私は焦っていたのだなと思う。

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最近の自分の情緒不安定を見てずっとずっと考えていた。
自分はチューターがつらいから会社が嫌になったのか、それとも飲食の仕事が本当にしたいから会社を辞めたいと思っているのか。
飲食の仕事がしたい、となった時、カレー屋がやりたいの?お菓子屋がやりたいの?考えが結局何度も目移りしていて、今思えばあれも、他人の欲望を自分のものと取り違えていたのだ。焦って何かを手にしたかった。

それに気づけたのは、お菓子の食べすぎで太ってきた自分を見てげんなりしたとき、やっぱり違うと思ったからだ。自分がどういう場所に身を置けば安心するか、どういう生活線上にいたいのか、を考えるとそう思った。パン屋の時、パンが好きだったから楽しかったけど、いつも廃棄のことを考えていたし、太っていく自分は嫌だった。そして甘いものの食べすぎはアトピーを悪化させる。

砂糖や食べすぎが自分のアトピーの原因に大きく関連していることはわかっているから、お菓子屋という選択肢はなくなった。では、他には?自分がこの線上にいたら不安と少しでも思うことは選択しない、と思って突き詰めていくと、私は自分の今直面している「問い」、不安の原因にようやく素直に突き当たった。

「どういう生活、どういう食事をすれば、自分が健康でいられるのか、わからない」ということだ。精神的健康も、結局はこの身体的不安から大きくかき乱され、心身ともに情緒不安定になってしまったのだ。
そして、自分の健康の指標となっていたアトピーの毒出しを、仕事を続けるために「諦め」、ステロイドを頼って、麻痺させてしまったこと、それが不安の原因になっていると思った。

結局表面上は見えなくなった毒は別のところに回っていく。私は、自分の身体の素直な声を薬でかき消すことで、自分にとって悪い生活、悪い環境、食事、睡眠の要素を探究していくための術を、失ってしまった。だからいつもいつも不安で、不安なわりに表面上悪い症状がないのをいいことに、養生を行うことが出来ずに、楽なほう楽なほうへと流れ、好き放題食べ、散らかすようになった。「自分のために努力する」術を失ってしまった。

ほんとうは、自分に合うものを探究したかった。誰かに見せるためではなくて、自らが健康であるために自分にあった掃除や衣服や食事を構築していきたかった。

「人間としてこうあるべき」という思想は、あるようで本当はない。私が哲学を勉強したときに感じたように、思想というのはそれのみで存在するのではなく、あらゆる背景を持って存在する。「こうあるべき」と今一般化されていることは、先人たちがなにがしかの背景を持って構築したものであり、それが一人歩きしているようでは、それもまた他人の欲望の模倣にすぎないのだと思う。

「部屋は綺麗であるべき」
「朝ごはんは食べるべき」
「早寝早起きするべき」
「一人で自立して暮らすべき」
「会社は三年目まで続けるべき」
「強い薬は使ってはいけない」

全て、解放して、自分で決めて良いことなのだ。自分に必要だと思うことを行い、誰かの思想にこだわる必要は一つもないのだ。もちろん「太ってはならない」ということも。

自分は本当はこうしたいんだー!!というかこうなるべきなんだー!!という本心を私はずっと見えないふりをしてきたしまったけれど、というか世間の力で麻痺してきたけれども、西洋医学の中で自分のあらゆる不調がばらばらの形で対処されていくことに耐えられず、「自分の身体をひとつながりのものとして考えたい」という思想から東洋医学を知るようになり、それを皮切りに自分が本当は選びとるべき指針、それは外にあるわけではなくて、自分との対話と実践でしかないことを知った。

今思えば、「自分のあらゆる不調がばらばらの形で対処されていくことに耐えられ」ないというのは、私が文学部ではなく文化構想を選んだことと通じる。作品は決して、作家の人生からで閉じたものではない。その時の政治の状況や、作家の住んでいた地域、その時の交通の状態、その年の天候、あらゆる現象や問題の原因を決して、狭い範囲で考えるべきではない。会社でも嫌というほど学んできて、どんなに自分とは無関係の機能が異常動作をしていたとしても、自分に原因があるのではないかと緊張した。
仕事では特効薬はないから、一つでも予想外の動きをするものがあるのなら、摘み取らなくてはその後もずっとついてくる。本当は人間も同じで、特効薬があるようで、ずっと、見ないふりをしているだけだ。

いつも身体が重いことや気持ちの悪いこと、それが気になって仕方がなかった。結局、私はそれについて考えるのがすきなのだ。そんなものは二の次だという人もいるけれど私はそれが好きで、食が好きで、だからこそ、こういう身体からのサインを無駄にしたくない。



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