ミルクはこぼれたままに
アメリカに『SPILT MILK』と名付けられたジグソーパズルがあると聞いた。大量のこぼれたミルクのように、一面真っ白なジグソーパズルだという。完成図はただ白一色で、組み立てる手がかりはピースの形だけ。
茫漠とするなー……。
想像するだけで、頭の中に白い砂漠が広がる。
でもやってみたいなぁ。
はたから見たら面白くもなさそうな、単調で細かい作業が好きなのだ。
何にせよとりあえず見てみたいと思い、あちこち探したけれどどこにもない。予想通りと言えば予想通り。美しい絵柄もない白いだけのジグソーパズル、店頭に置いてもあまり売れなさそうだし。
今ほどインターネットでの買い物が普及していなかった当時、店頭にない商品を探す手立てはなくて、諦めるしかなかった。
それでも、話に聞いただけのその白いジグソーパズルのことは、記憶の奥底に何年も何年も、なぜだか残り続けた。
そしてなぜだか、何年も何年も後のある時ふと、記憶の底から表層へとそいつは浮上してきたのだった。
『SPILT MILK』で検索する。覆水盆に返らず的な英語のことわざが列挙される。そりゃそうだ、検索ワードが足りない。今度は「ジグソーパズル」「白」と足してみる。すると。
えー、なんか…いっぱい出てきた…。
なんと簡単に欲しい物にたどりつける世の中になったことだろうか、と世界の変化にひとしきり驚嘆し、同時に拍子抜けもする。もっと早くに思い出してりゃよかった。
探し求めていたこぼれたミルク柄のパズルは、ミルクパズル、ホワイトパズル、無地パズルなど様々な呼ばれ方で、普通に日本の市場に流通していたのだった。
そんなわけで、とりあえず1000ピースのを買う。
購入履歴をたどってみたら2014年、10年も前ではないか。思っていたより昔でびっくりした。
パズルの名称は『純白地獄』。ちょっと命名がひどくないか、と思ったが、真っ白なことは伝わる。しんどいことも。
でもこれは、裏面に星だのハートだののマークが画面を4分割に印刷されている、半分だけ無地パズルだった。裏面をちょいちょい見ながら組み立てたこともあって、完成させるのにそんなに苦労はしなかった記憶だ。
完成品をフレームに入れて白い壁に立てかけると、なかなかの物好き感が醸し出されておもしろい。長年気になっていたことが解消されて、そのときはそれで十分満足した。
だけどその白い画面を眺めるほどに、じわじわとやっかいな思いが涌いてくる。裏面のマークを頼りにしたのが、ちょっとずるだよなー、という心残りだ。
だめだどうしても気になる。そして長い戦いが始まった。
購入履歴によるとそれは2018年8月のこと。夏休みにやろうと思ったのだったか。
その名も、世界極小2000スモールピース『純白地獄 大王』。裏面も無地の、本物の真っ白パズルだ。
意を決して買う。届く。しばらく放置。
しょうがないよね、しょうがない。これ相手にするの、けっこう胆力が要りそうだもん。その気力は今はない。そうしてクローゼットの隅にしまいこんだ。
意を決してようよう開封したのは、次の次の年の冬休みのことだったと思う。(途中、完全に忘れている期間含む。)
ビニール袋を開けて、ピースを外箱の中にあける。ざらざらーっと流れ出る白一色の大量の欠片に戦慄。
わー、まじかー。
両手ですくってはバラバラと落とす。
まじだなー。
眺めていてもしょうがない。ジグソーパズルの常道通り、ピースを形別に仕分けるところから始める。
先に外枠を組み立て、それから特徴的な形状のピースを選り出して、パッケージの図を頼りに(これくらいは許せ、自分)組み合わせる。
ジグソーパズルの完成までには、大きく分けて三つのフェーズが存在する。比較的簡単な序盤、ただただ苦労し続ける長い長い中盤、簡単な終盤。
すんなり行ける序盤は終わった。そして未完成のパズルの横には、荒く削った練乳ミルクかき氷のごとき山が、いくつも積み上げられている。その様は中盤の長く厳しい戦いを想像させた。
一旦心が折れる。
そっとカバーをして、放置。
またもけっこう長期間の放置だった。(途中、全き忘却の期間含む。)
ずいぶん長いことほったらかしていたのに、ある時、不意に、なぜかしら思い出し、毎日目に付くところに未完成のパズルを引っ張り出した。
せっかく思い出したし、今度こそは完成させるのだ…!決意してカバーの埃を払う。
寒々しい有様のスッカスカの隙間、特徴的な形の接ぎ目がないか目を凝らし、仕分けてあったピースの山を睨む。
ひとつ、ふたつと嵌まってはいく。けどどこに増えたのかわからんくらいの些細な変化。果てしなく当て所ない。
なかなかの圧を受けて心が軋む。
無理だな…。不可能じゃないのはわかっているが、無理だな。
矛盾した思考が絶望を前にした頭の中に去来する。
だけど今度こそ完成させるって決めたじゃないか。
折れそうな心の支えになるものはないかと考え、写真を残すことにする。変化が目に見えて、進捗具合が確認できると、ちったぁやる気になるのでは。
そう思って撮った①の写真には2023年10月と記録されている。そこからずーっと、年をまたいで戦いは続いたのだった。
スッカスカ。ミルク感ゼロ。
休日の雑事の合間合間にやっていたのもあって、はかばかしい進捗具合ではありません。しかし、少しずつでも隙間は埋まっている。
できる…。できるぞ…!
冬休みには毎日やっていたかも。買った日付からだと、これで6年越しとなりました。
1時間にらめっこして、ひとつふたつしか進まないなんてのは茶飯事。
”ミルクこぼしました”感が少し出てきた。
上下が繋がった。
このくらいまでできてくると、万が一ひっくり返してしまったらと思ってぞっとする。自分、粗忽者だし気をつけよう…。
右寄りに一本だけ飛び出てた長い縦線。途中のつなぎが間違っていたことに気付き撤去されています。ジグソーパズルあるある。
でも、ここら辺りから比較的簡単な終盤。スピードアップします。
上半分が埋まりました。かなり簡単になってきています。
左半分も埋まった!
ピースを無くしてさえいなければ、明日には完成するのでは。今日はもう寝よう。
ミルクが全面に広がってきました。終わっちゃうのかと思うと、少し寂しいようなもったいないような気持ちになってくる。
精緻に美しくこぼれたミルク。確実に、今日中に完成する。
完成までのカウントダウン。
ぜろ!
というわけで、完成形は自分だけの楽しみとしようと思います。
グラスに入ったミルクのかけらを、注意深く均一にこぼしていく作業だった。盆に返した覆水をもう一度覆すような悪魔的所業。
倒錯している。こぼれたミルクと純白地獄。実はどちらも言い得て妙なのかもしれない。
かくしてミルクはもう一度無事にこぼされました。
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