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風景が反逆する

私は不気味なものに興味を覚える。

例えば、バベルの塔やSF映画、ダークなアートやストーリー、異様な光景、想像を超えた儀式など私が思う「異常」すなわち理解できないことにワクワクする。まるで、違うことを楽しんでいるかのようだ。

私たちは普段、風景を見ているだが、必ずしもその風景をあるがままの姿で受け取っているわけではない。

私たちの内部に巣食う、何か決まりきった固定観念や思考回路といったもの、あるいは気分や感情を通して風景を整理する。

しかし、そうやって整理された風景は私たちの内部のフィルターを通しているため、風景それ自体ではない。

しかし、風景自体は存在する。だから、時折、風景は私たちのフィルターを食い破って露出する。この瞬間に私は惹かれるのである。

風景が食い破ってくる

私たちは結局は一人だけの桃源郷にいる。自分に有利な情報だけを選択する。そもそも私たちはマトリクスの世界のようにそれさえにも気づいていないのかもしれない。

怖い、という感情は、世界を破壊する使者から自分だけの世界を守ろうとする防衛本能だと考える。恐怖を感じるとき、恐怖を感じさせる「ナニカ」が私たちの虚構を食い破って侵入してきたのかもしれない。

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