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理解することされること|私の目に映る「家族」の姿

★★この記事は、5/21以降有料にして鍵かけます★★

突然ですが、みなさんはお店で買い物するときに、万引きを疑われ(もしくは予防のために)店員さんにマークされた経験はありますか?

ない方は想像でも大丈夫です。それに気づいたとき、店員さんに対して(お店に対して)どんな感情が湧いてきますか?


子供のころ、いつも友達と通っていたファンシーショップがありました。

お目当ては、1カップ100円、透明のカップに詰め放題(蓋が閉まればOK)のカラフルなお菓子たち。

そのお店のおばさんは「見張ってます」オーラを隠そうともせず、いつもあからさまに私たちの後ろに立ち、店内を少しでも動けば付いてまわられる。

「あのおばさん、ほんとヤな感じだよね。さいあく!!」と悪口を言いながらも、そのお菓子が売っているのは近所でそのお店だけだったため、私たちは文句をいいながらも通い続けていました。


いま私は、あのおばさんの気持ちを思うと胸が締め付けられ、目に涙が浮かんできます。

いつも睨むような目つきで、私たちを見張っていたあのおばさんは、いったいどれだけの盗難被害にあい、どれほど辛く悔しい思いをしてきたのだろうか?

今でもたまに、店員さんにマークされていることに気づくことがあります。

そんなときに私が思うことは「私たちのために、いつもお店を開けてくれて本当にありがとう。どうかあなたが、これ以上辛い思いをしませんように。」


子供のころの私は、物を盗られる側の、お店の人の気持ちを考えることができませんでした。

それがどれだけ辛く、苦しく、悔しく、悲しいことなのか、万引きという犯罪が、お店の人の生活にどれほど大きな不安と損害を与えていることなのか。

「私は盗んだりしないのに! 気分悪い!」

自分側の視点でしか、物事を見られなかった。

でもそれは子供のころだけの話ではなく、大人になっても、自分自身でその立場を経験するまではわからなかったことでした。

多くの万引き被害にあいながらも、こうして今もお店を開けてくれている人たちがいる。お店で実際に商品を目で見て手に取って選び、必要なものを手に入れられることに本当に感謝しかない。

どうかそんなお店の人たちが、これ以上辛い思いをしませんように。


20年ほど前のことですが、私は「万引き(盗難)」の被害者でした。お店の従業員ではなく、オーナーとしての立場です。

ただ店を開けているというだけで、多くの犯罪者たちの手によって、大事な商品がどんどん盗まれていきました。

本当に本当に悔しかった、悲しかった。世の中には平気で人のものを盗み、何食わぬ顔をしてのうのうと普通に生きている人がいることに。

まるで善人のような顔をして、誰かと笑って生きていることに。

小売りをするなら避けられない、どうしようもないこと? 必要経費だと思え?

私はお店を閉める最後のときまで、万引きによる損失を「経費」と思うことはできませんでした。


一匹残らず駆逐してやる


『進撃の巨人』のエレンのごとく、私はその犯罪行為を、犯罪者たちを、心の底から憎んでいました。

小さな子供から学生、老人、サラリーマン、様々な立場の、あらゆる年代の万引き犯がいましたが、立場や年齢、金額で区別することなく、すべて平等に、同じ「犯罪者」として警察送りにしてきました。

小さな子供が一人でパトカーに乗せられる、どれだけ不安で怖いことだろうか? トラウマになったりしないだろうか?

仕事中のサラリーマンがパトカーで連行されること、きっと仕事に支障がでるだろう? 会社にバレたらその人はどうなるんだろう? 仕事を失ったりしないだろうか?

万引きくらいのことで、たかが万引きで、そのひとの人生が大きく狂ってしまうことに、同情する人はいるでしょうか?

万引きという犯罪を、「万引き”くらい”で、”たかが”万引き……」と考える人、人のものを平気で盗む犯罪者に同情する人は、はっきり言って、私の「敵」です。


そのころあるニュースをみて、私は悔しさと悲しさで涙が止まらなくなりました。

それは、ある小売店で中学生の子が万引きをして、店主にとめられたのを振り払い走って逃げたところ、交通事故にあって亡くなってしまったというニュースでした。そしてその後、その小売店さんは周りからひどい誹謗中傷にあい、閉業を余儀なくされた。

みなさんがこのニュースを見たとき、いったい誰に心を寄せるのでしょうか?

そのころ私には子供がいませんでしたが、子を持つ親となった今でもなお、私が一番に寄り添いたいと思うのは、お店の店主さんなのです。


(前書き1900字/全14100字
+おまけ7000字


⚠️長いです。
 お時間あるときに、興味を持っていただける方のみお読みいただけたらうれしいです。


できるだけ多くの人のことを、心を、理解したい。

共感や肯定はできずとも、せめて理解だけでもできる人間になりたい。目の前の相手を理解しようとする心を持ち続けていきたい。

そこで起こった事実だけではなく、その行動や言葉の背景には、いったい何があるんだろうか? 

そうしなければならなかった、その人の生い立ちや、今置かれた状況はどんなものなのだろうか?

相手の背景を想像すること、相手の立場になって考えてみること。

これを習慣にすることによって、私の周りから、私にストレスを与える人(嫌いな人)は、ほとんど消えていきました。

つまり、この習慣こそが「私が幸せを手に入れた方法」であり、今でもとても大事にしているモノの見方です。



それと同様に、私の生き方に採用している「原因自分論」

唯一、その適用外になるのが夫であると、以前、上の記事に書きました。

私はキレイゴトをとても大切にしていますが、例外はあり、全然完璧ではないのです。


相手の背景を想像すること、相手の立場になって考えてみること。
共感や肯定はできずとも、せめて理解だけでもできる人間になりたい。


私にとって、とても大事にしているこの習慣の、唯一適用外になる”どうあっても許すことができない理解したくもない相手”が「万引き犯」です。

背景がなんであろうと、その人がどんなに辛く苦しい人生を生きているとしても、今も私に代わって盗難被害に苦しみ続けている人がいる限り、私はその犯罪者たちを許せないし、理解しようと考えることすらしたくありません。

万引きに気づきながらも現行犯で捕まえられなかったとき、私はいつも祈っていました。

「どうか……、かみさま。私に代わって、あの犯罪者に罰を与えて下さい。」

強い憎しみを持ち、他人の不幸を願っている私が、幸せを手に入れることなんてできるのでしょうか?


私と同じ熱意を持って、万引き犯を憎む人が多くないことはわかっています。

それでも「これだけはどうしても許せない」というものがひとつでもある人は、私のこの気持ちを少しは理解してくれるでしょうか?

その対象は、いじめや誹謗中傷かもしれない、セクハラ、パワハラ、飲酒運転、毒親、詐欺、もしくは、私のような、「人の心を理解したい」なんて言ってる人間。

「そんなキレイゴトを言ってるお前みたいなやつが一番ムカつくんだよ!」と、「偽善者」を最も嫌う人もいるだろうと思います。


今日のテーマは「理解することされること」

迷子にならないように、整理しながら書いてみたいと思います。


🔶私の目に映る”家族”の姿

🧩本を読んで考える「家族」のこと

湊かなえさんの『母性』という小説を読んだことが始まりだった。

母子の関係性、考えれば考えるほど「誰が悪い」とは言い難い、気持ちの悲しいすれ違いが起こした悲劇。

『母性』を読んでから、母と姉の関係性を考えることが頭から離れなくなった。

この本の中に、姉の生きづらさのヒントがある気がしたからだ。

私の両親は、けして毒親ではない。

なのに私の姉はなぜ、死にたいと思うほどの「生きづらさ」を抱えてしまったのか?

『母性』の主人公ルミ子の母親も、毒親ではない。

母からたっぷりの愛情をかけてもらったルミ子。

この母から育てられたのがルミ子でなければ、この悲劇は起きなかったのではないか?(ルミ子が悪いという意味ではない)

ルミ子の母に育てられたのが、違う人格・特性を持った別の子だったら、この悲劇は起きなかったのではないか?

同じ母親に育てられたのに、私は死にたいと思ったことがない。それほど大きな生きづらさを抱えてもいない。なのに姉は?いったいナゼ?


母は、私だけを極端にひいきして可愛がるような親ではない。もちろん父も同じく。

姉妹すべてが平等にとはいかないが、かける愛情の不平等さが姉の生きづらさの原因とは私には思えない。でもそれは私の勝手な思い込みだろうか?

同じような環境で育ってきたのに、どうして姉だけがあれほどまでに生きづらさを抱えてしまったんだろう?

私は姉のことが頭から離れなくなった。


※kindleUnlimited対象

同時期に読んだ、やまもとりえさんの『わたしは家族がわからない』

自分の本当の気持ちを家族の誰も言わない。いま在る”平和な”家庭を守るために。

ちゃんと話せばわかり合えたんじゃないか?お互いに理解しあえたんじゃないか?

その行動や言葉の裏には、ちゃんとした理由があったからだ。お互いに話して理解し合う気持ちさえあれば……、悲しくなる。


私の姉は、この登場人物たちと同じように、”平和な”家庭を守るために、家族のために、きっと自分の気持ちを押し殺してきたんだろう?

この本からはそんなヒントを受け取ったが、姉が隠していたものが何であるかはわからない。

私は今までにないくらい、姉のことを知りたくなった。

私は姉のことをしらない、何も理解していない。

何ひとつ理解していない私の言動が、いままでどれだけ姉を傷つけてきただろうか?

姉のことを知り、少しでも理解したい、そう強く思った。姉がそれを望むかはわからないけれど。



水谷緑さんの『私だけ年を取っているみたいだ。ヤングケアラーの再生日記』

次に読んだのが、図書館に予約していたこの本だった。

統合失調症の母、家庭に無関心な父、特別扱いされる弟、 認知症の祖父。
幼稚園のころから家族の世話を一手に引き受け、自分を殺して生きてきた主人公”ゆい”が、成人して「ヤングケアラー」を自覚し、自分を取り戻していく再生の物語。当事者取材から書き下ろした実録コミック。


この本の中に、たしかに姉がいる。


そう強く感じたが、それがなんなのかが最初私にはわからなかった。

だって私の実家の家族は、ゆいの家族とは似ても似つかない。

父も母も心身ともに健康、暴力や暴言をふるう親でもない、子供に対して無関心な親でもない、父は家族のために一生懸命働き、母も働きながら家事を頑張ってくれていた、いたって「普通」の家庭であり、


姉はヤングケアラーではない!!

だけどこの本の中には確実に姉がいる。何か姉から聞いてきたことでヒントはないのか?

この本を読みながら、今までの姉との会話を必死に思い出していた。


🧩無関心

私は一昨年、noteで積極的にフォロー活動をしてくる中で、今までになく多くの人のnoteを読む機会を得た。

そこで何より一番驚いたことが、子供のころに、親に遠慮したり言いたいことを言えずに我慢してきた人がたくさんいるということだった。

そのころの私にとっては、子供とは、自分の好きなことをして親にワガママを言い困らせるのが「あたりまえ」の世界だった。

もちろん自分もそうしてきた。

親が子供のためにお金を出したり、何かと世話を焼くことは当たり前だと子供のころは思っていた。

子供とはそういうもんじゃないの??

アダルトチルドレンとか毒親だとか、言葉としては知っていたが、それがどんなものなのかを具体的に見聞きしたことがなかったため、そこに私の知らない世界があったこと、その世界の端っこすらみえていなかったことに、私は大きな衝撃を受けた。

そしてその子供のころの体験が、「生きづらさ」の原因になっているということも。

私は自分の生きる世界以外のことに、あまりに無関心だった。

テレビやニュースで情報として触れたことがあったかもしれないが、私がそこに無関心であれば、その情報にアンテナは反応せずすぐに忘れてしまうだろうと思う。


親に言いたいことを言えずに我慢している子供がいる。


その事実をこのnoteで知ってもなお、私は自分の姉の生きづらさとそれを繋げることができなかった。

「うちの両親は毒親ではない」という思い込みが邪魔していたのと、私が今まで姉のことに無関心だったからだ。

姉が「死にたい」と思う人だったということは昔から聞いて知っていた。

現在社会人となっている姪っ子が生まれたころに「もう死のうとは思わない」みたいなことを話してくれたことも、姉のことを考えてくる中で思い出した。

でもそのころの私は「え?そうなの?ふ~ん」というくらいの軽い気持ちで、「死にたい、もう死なない」という言葉をスルーできるほど、「死にたい」の意味が理解できず、姉に対して無関心だったのだ。


姉は私を含む家族に対し、自分のことを理解してくれる人はいないと、子供のころからずっと諦めてきたんだと思う。

それは事実その通りで、私は姉に対し無関心だった。理解しようともしていないのに、理解できるわけがない。

だから姉は「死にたい、もう死なない」の言葉に対し、私が「ふ~ん」のような軽い態度をとっても、怒ることもなければ、悲しむ様子を見せたこともなく、それ以上深く自分の気持ちを話してくることもなかった。

また、私は「死にたい、もう死なない」について、姉に寄り添う言葉をかけることもなく、その言葉のうしろにある気持ちを一切聞こうともしてこなかったのだ。

それはワザとではなく、何かを感じながらも姉から逃げていた、目を背けていたわけでもなく、「死にたい」の後ろに隠れた姉の苦悩をまったく想像することができず、真剣に受け止めることができなかった、「死ぬわけない」という根拠のない思い込みもあったかもしれない。


私は自分のことを、自分の周りにいる人には「理解してほしい」と思っている。

冒頭に書いた万引きのことだって、すべてに共感はできずとも、たとえ私と同じ熱量で万引き犯を憎むことはないとしても、少しでも私の気持ちを理解してもらえたらうれしいと思っている。

私は、自分のことを、理解してもらえたら嬉しいと感じる人間だ。

姉はどうだろうか?

姉も私と同じで「自分のことを理解してもらえたら嬉しい」と、感じる側の人間だろうか?

姉がなにを望んでいるかはわからないが、もし私と同じだとしたなら、40年以上も、私は姉に対しなんて残酷な態度をとってきたんだろうか。


🧩父

家族で起こる問題は、母親だけが原因ではない。

父親がどんな人であるかで、大きく結果は違ってくると思う。

『母性』に出てくる父(ルミ子の夫)は、家族の問題から「逃げる人」だ。

『わたしは家族がわからない』に出てくる父は?なんだろう?

妻の不安な気持ちに気づきながらも「何も話さない人」

聞いてこないならいいだろうと、家族間のモヤモヤを「放置する人」か?

『私だけ年を取っているみたいだ。』に出てくる父は「無関心な人」

それぞれの父は父なりに、辛い部分もあったり、罪悪感を感じていたり、その罪悪感ゆえに逃げてしまったり、理解しようと思えばその行動の理由は理解できるが、はっきりいって悲しい。

でも自分がその立場になったらどうだろうと考えると、簡単に批判することはできないなと思う。


私の父は、この中のどれにも当てはまらない。

私の父は、いわゆる”天然さん”と言われる、空気読めないお花畑キャラなのだ。

「生きるとは?」「幸せについて」なんて、母や姉、私のように細かいことをごちゃごちゃと考えるまでもなく、勝手に幸せになってしまう、いつも楽しいことを考えて生きている幸せの達人。

かといって自分勝手な人ではなく、家族のために一生懸命に働いてくれた。

子供のころは色んな場所に連れて行ってくれた。

若い頃はパチンコが趣味だったが、自分の小遣いの範囲で楽しみ、負けても家で不機嫌な態度をとることは一切なかった。

いつもニコニコと笑って、とても穏やかで優しい父だ。

父が怒鳴ったり怒ったりしていた姿なんて、いま考えても思い出せない。

私は子供のころ母のことを嫌っていた時期があったが、父のことを嫌いだと思ったことは一度もない。

今も昔も大好きな父。


そんな父は姉の苦悩を見抜けるタイプではないが、くそ真面目な女3人に対し、この父の存在は、とても大きなものだったと思う。

もし父がいなければ、父がお花畑ではなくもしも何かとごちゃごちゃ口を出すタイプだったなら、姉はどうなっていたかわからない。

「お花畑なパパがいてくれたおかげで、家族は平和を保っていたよね。」って、母と姉、私の3人で笑って話したことがあった。


🧩母と私

母は「自分」というものを、若い時からしっかりと持っていた人だった。

私と母の話は、以前この記事に書いている。

私の母は、子どもが社会人になるまでは全責任が自分たち親にあると、人一倍強く思っている人でした。

子どもを産んだからには、責任を持って子どもを一人前の自立した人間に育てなければならない。また、成人した子どもには、自分の責任の範囲で自由に生きる権利があり、余計な口出しは一切したくないと考えている人でもありました。

そのため、自分が面倒をみている子どもの間に、何とかちゃんとした大人に育てようと必死だったのだと思います。

母の真意はわかりませんが、子どもの私が母から受け取ってきた最重要キーワードは「自己責任」と「自立」でした。


子供のころは母からの拘束がきつく不自由を感じていたが、社会人になってからは母は自分との約束を守り、私は一気に自由を得た。

自由を獲得した私は、当然今までのうっ憤を晴らすがごとく遊びまわった。

母はどれほど心配しただろうか?不安だっただろうか?


それでも社会人となった後に、母が「それはダメ!」と言ったことはたったの一度きり。

新入社員として入社した年に、男性の先輩二人と一緒に「もう終電間に合わないから、カラオケオールしてくるわ」と電話したときだった。

「迎えに行くから、それはダメ!」

このとき以外に、私の行動に対し、母から制限を受けた記憶が私にはない。

心配してついごちゃごちゃ口を出したくなるのが、親というものではないのか?

親は自分の安心のために、子供の行動に制限をかける側面も少なからずあると思う。

今まで厳しくしてきたならなおのこと。

それを潔いほどに、子供を信じて一気に手放すことができた母のことを、私は心から尊敬している。母の意思はとても強い。母は自分との約束も、人との約束も守る人だ。



私は、生き方について考えることが好きです。

noteには、そんなオタクでマニアックなことばかりを記事に書いている。

上の記事も、母について書いた記事。

母は昔から「生き方」について考えること、話すことが大好きだった。だから、今は母とすごく話が合う。

母や姉とは、noteに書いているような話が普通にできるのだ。「こう在れたらいいよね」という、キレイゴトと言える話。


でも子供のころの私は、母のキレイゴト満載の話が大嫌いだった。

母がある宗教団体に属していたことも、「怪しい、洗脳される」と毛嫌いしていたため、宗教や自己啓発的な「素晴らしい教え」のような話には一切耳を傾けることはなかった。

そういった話が始まると、いつも冷たく「そんな話はウザイんだよ!」と言って避けてきた。

反抗的な態度をとる私とは対照的に、姉はいつも母と仲良くそういう話をしていた。

「よくあんなキレイゴトばかり聞けるよな」と思いながら、私が二人の会話に入ることはほとんどなく、ずっと無関心だった。だからそこでどんな話をしていたかはよく知らない。


🧩母と姉

姉が子供のころから、ある種の「生きづらさ」を抱えていたことを、母はちゃんと知っていた。

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