何者
読書の習慣ができて10数年、私は今までほとんど小説を読んできませんでした。
最近は積極的に小説を手に取るようになり、小説の面白さに気づき始めたところではありますが、最初の方に読んだある小説の表現が、小説初心者の私にとってあまりに辛辣すぎて、軽く発信恐怖症になりかけたことがありました。
「小説は選ばないと私にはちょっと危険」
私は自分の心に生じたモヤモヤやチクチクと向き合い、自分の成長に繋げていくことが好きですが、実生活に支障が出るほど私を傷つけるものを、自ら好んで自分に寄せ付けたくはありません。
ナイフでグサグサぶっ刺してこなくても、針でチクチクくらいでちゃんと気づけると思うので、どうぞお手柔らかにお願いします。
これが、小説に私が求めるもの、私の好みです。
noteで朝井リョウさんの直木賞受賞作『何者』の感想記事を読みました。
「面白そう!」と思ってすぐに図書館で予約。
その後、また別の方が朝井リョウさんの本についての感想を書かれているのを読み、これは私にとって危険な本かも?
危険な作家さんかも? 読むのやめようかな、と思いました。
興味を持って『何者』の感想文を探し、数名の方の感想文を読み、朝井リョウという作家さんは、人が隠しておきたいと思う部分をこれでもかというくらいえぐってくる作家なのだという印象を受けました。
それはどちらかと言えば大好物なんだけどね、言葉があまりにキツ過ぎると苦しくなるんだよね。
朝井リョウさんの言葉はどんなものだろう?
『何者』という小説のビッグキーワードは、「就活」「SNS発信」
恐る恐る読み進めましたが、私がこの本でえぐらるところはほとんどなかったです。
その理由は、私自身が高卒で大学生特有の就活を経験したことがないこと、そして、悲しいかな本の中の就活生たちと違い、若い頃にこんなに何かに真剣に打ち込んだことが、私にはなかったことΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
発信にまつわる感情については、今まで散々自分と向き合ってきたことで今のところほぼ消化済みだったこと。
が、あげられるかなと思います。
誰も反応しない部分に自分は大きく反応してしまうのに、他の人が「ドキッ」とする部分に自分は反応しなかったり、人って本当に面白いですね!
『何者』
とてもとても面白かったです。
この人の言葉なら、たとええぐられる部分があったとしてもちゃんと読み進めることができるかも?
自分の成長のために、ちょっと恐いけど一度えぐられてみたいではないか!
また朝井リョウさんの別の本を読んでみたいと思う、とても魅力的な作家さんでした。
(前置き1000字/残り4200字)
🐸
今日は『何者』から一つヒントを受け取って、このnoteにおける私なりの「何者」について書いてみようと思います。
この文章を読んだ瞬間に「なんて的確で素晴らしい表現力を持った人なんだ」と、朝井さんを本気で羨ましく思いました。
これは、就活だけでなくSNS発信にも言えることだと思いました。
発信の目的はそれぞれ違うので「別に多くの人に読まれたいなんて思ってないよ」という方には関係ないかもしれません。
でも何らかの目的があり、自分の言葉を少しでも多く世の中に届けたいと思っている場合、読者の方に自分の記事が選んでもらえるように、何かしらの工夫をする必要が出てきます。
それは、noteでも多くの方がつけておられるように、名前の横に「肩書」をつけることだったり、自己紹介の部分に自分が持っている資格を書いたりして「私は〇〇について得意な人です」とアピールすることだったり。
企画を主宰するというのも、手段のひとつだと思います。
記事の質を高める努力をすることを前提とした上であっても、ただ地道に認められるまで書き続けるという方法もあれど、あくまで私個人の考えですが、自己アピールって、とてもとても勇気が必要なことだと思うんです。
私は「日本を守りたい」という目的を持って、「お金」と「幸せ」という二つのテーマに絞りnoteを書いています。
以前も書きましたが、
日本を守る=「自分は幸せだ」と思える日本人を増やすこと
これが、私が熱意を持ってnoteに取り組む理由のひとつです。
「お金」も「幸せ」も、学ぶことで今よりも良い状態に持っていくことができる。そう信じています。
そして今までの発信との関わりの中で、何者でもない主婦の私の言葉でも、誰かの新しい行動のキッカケとなることができる。
私は今まで何度もブロガーさんたちに背中を押してもらってきたんだから、それは私にだってできるはずだ!
そう信じて、数字に囚われる情けない人だと思われてもいい、たいした人間でもないのにスキ活(営業)で数字を稼いでると思われてもいい、フォロ活を含めて、たとえ誰かにかっこ悪いと思われても、今の自分にできる「読まれるための努力」をしてきました。
※読んでいない記事に私がスキをつけることはありません
私は幸せオタクでお金が大好きなただの主婦であり、お金についても幸せの学びについても、何の資格も持っていません。
特にお金については「専門性」「信頼性」が重要視される分野であり、noteにはそれらを持った方が数多くいらっしゃいます。
その中から、特別な専門知識を持たない私のお金記事を、選んで読んでいただくにはどうしたらいいんだろう?
私が出せるのは、自分(私たち夫婦)の実績しかありませんでした。
40代で住宅ローン完済!
1000万円貯金を2度達成!
こんなことを自慢気に書くことが本当に恥ずかしく、これを自己紹介欄に入れるのは、私にとってものすごく勇気が必要なことでした。
それでも、これを見てくれた方が「ミイコさんって貯金が得意な人なんだな。だったら一度読んでみようか」と、一人でも思ってくれたら嬉しい。
そう思い、昨年積極的なフォロー活動を始めるときに付け足した、私なりの精一杯の自己アピールでした。
私は「お金」と「幸せ」について、いつも記事を書いています。
そしてそのすべての記事は、資格のようなものに裏付けされた「知識」ではなく、こうして素晴らしい本から一文を借りたりしながら、私の「経験」だけを頼りに書いています。
それはどれも取るに足らないもので、大勢に自慢できるような特別大きな経験ではない。
でも、私には1億円貯める方法は書けないけど、1000万円を貯めた自分の経験なら書ける。
投資で大儲けする方法は書けないけど、私自身が投資を20年以上楽しく続けてきた方法なら書ける。
特別大きな困難、苦悩を乗り越えての「幸せを手に入れる方法」は書けないけど、十分恵まれた環境に居ながら、なかなか幸せを感じられなかった私が、学ぶことで手に入れた「私が幸せを手に入れた方法」なら書くことができる。
何者でもない私が世の中にアピールできるものは、どこまでいっても「私」しかなく、こんなたいしたことない自分を、私より遥かに優秀なフォロワーさんが大勢いらっしゃる中で、たいしたことあるように書き続けることは、とても恥ずかしく辛い部分もあったりする。
「私」を唯一の売りにしている私の記事は、たいしたことない自分でありながらも、
というのを、常に前提としています。
これは自慢やマウントと受け取られるリスクをはらみますが、それ以上に私が怖いのは、このふたつを前提とした私の記事が、タイミング的に届いてはいけない人に届いてしまい、人を傷つけてしまうことです。
冒頭で書いた、私を発信恐怖症にしかけた言葉、
それは映画化もされた『余命10年』の中にあったある言葉でした。
難病を患った主人公が、友人たちに対し感じてしまった、どす黒い感情を表現した中に含まれていた言葉です。
この言葉をまとった矢が1000本、私の心臓に向かって一気に飛んでくるかのような衝撃を受けました。
「ダメだ、私はもうお金の記事も幸せの記事も書けない。noteも、もうやめてしまいたい。」
そう思ってしまうほど、私はこの言葉に傷つき、今まで自分のしてきたことに自信を失ってしまったのでした。
これを救ってくれたのは、きよこさんがバトンを回してくれたチェーンナーさんのバトンリレー企画「#心に残るあのエピソードをあなたへ」。
そして、投資塾の先生が私にかけてくれたある言葉でした。
この企画参加の記事を書き始めたころ、『余命10年』のあの言葉に出会い、私は続きが書けなくなりました。
バトンを受け取り約束したのだから、これだけは書かなきゃな。
ちょうどその日に投資塾のオンライン同窓会の予定が入っており、それを欠席しようかと思うくらい、私は落ち込んでいました。
でも同窓会の中で、先生がこんな言葉を私にかけて下さったのです。
「ミイコさんがいつか投資の本を書いて、それを私に1冊プレゼントしてくれたら、こんなに嬉しいことはないです。」
宇宙さんって、すごいなぁ。ここでこんな言葉を私にくれるのか。
企画記事に書いたのは、本にのっていたエピソードと私の母の話。
人のエピソードなら書けそうな気がする。せっかくバトンを回して下さったのだから、頑張って書いてみよう。
記事の中に書いた「何のためのnoteなのか?」という言葉は、自分に向けて書いたものでした。
『何者』に出てくる登場人物たちを、それぞれジャッジするのは簡単なことです。
「それはよくないよ」「こうしたらいいのに」
でも、本人たちはその時の自分の精一杯で「そうとしか生きられない」人生を、必死に生きているんだよな、尊いよなぁ。
上にも書いたけど、私は若い頃に何かに一生懸命に真剣に打ち込んだことがありませんでした。
だから当然、大きな挫折という経験もないのです。
それでも唯一、若いころから真剣に取り組んできたことといえば「貯金」なんだろうなと思います。
お金は私を裏切らない。
私がお金について学び、お金が残るよう行動すれば、それはどれだけゆっくりであろうと、確実に積みあがっていくものなのです。
日本人のマネーリテラシーが低いと言われるのは、お金について学んでこなかったからであり、いま多くの日本人が「自分は幸せだ」と思えないのは、幸せについても、学んでこなかったのが原因のひとつだと思っています。
「幸せを学んで手に入れる」という感覚は怪しいと思われるかもしれません。
でも、私と同じように、学ぶことで幸せを手に入れられる人はきっといるはずだ。
私はこれを、自分の経験から実感しています。
こうして「幸せ」について学んできたからこそ、「お金がない! もっと、もっと……」と、お金のストーカーだった私が、今お金と楽しく向き合えるようにもなったのです。
今日のイラストは、私の娘が描いてくれました。
最近鉛筆画にハマっている娘が「何かお題をちょうだい」と言ってきたので「カエルのフードをかぶった女の子を描いて」とお願いしました。
すると娘は「じゃぁ、せっかくだからお金も描いてあげるね♡」と言って、私の大好きなお金も一緒に描いてくれました。嬉しかったです。
何者でもない私は「何者」にならずとも、これからも「私」を前面に出し、お金と幸せの記事を書き続けます。
それが、仕事ではなく私自身が好きでたまらないことで、人の役に立てる方法だと思うからです。
そんな自信と勇気を下さる優しいnoteのみなさまに、いつも本当に感謝しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ブログミュージックビデオ(BMV)「あとひとつ」
cover 誰か私に名前を。さん
illustration くーや。さん
movie ミイコ