読書感想文(321)アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』(池田真紀子訳・光文社古典新訳文庫)
はじめに
こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。
今回は珍しくSFを読みました。
きっかけは読書会で紹介されたことです。紹介の仕方がとても上手だったので、続きが気になって読むことにしました。
著者のアーサー・C・クラークの名前は知っていましたが、読むのは初めてです。
感想
面白かったです。
ただ、何がどのようにと言われると、結構難しいです。
半世紀以上前に書かれた作品なので、若干の古さは感じるものの、作品内での説得力はあって、ああそういうことだったのか、と納得しました。
ここを読んだ時、夏目漱石が「現代日本の開化」でいう「内発的開化」を思い出しました。
或いは坂口安吾が国を捨てて地球人という意識を持っても、人と人との間に争いは無くならない、と言っていたことも。
だからなんだと言われると難しいのですが、現代においてこの点はどのような議論がされているのだろうか、とふと思いました。
そんなことについても、自分の無知を痛感します。
ひとまず国の独立が前提で、地球人は動いているように思われますが、生きているうちにどうなるのか、或いは人類が今後どのように歩んでいくのかはさっぱりわかりません。
こういう熱い考えは結構好きなのですが、この作品の中では、大きな宇宙の中のちっぽけな勇気に過ぎないようにも思えてしまいます。しかしやはり一人の人間にとって、それは大切なものなのだとも思います。
日々生きるの中で諦めることも多いですが、本当にやりたいことは後悔のないようにやりたいなと思います。やらない言い訳の為でなく、どうすればできるのかを見つける為に考え続け、行動したいです。
これも読み終えた今となってはちっぽけな一個人の考えに過ぎないのですが、現実においても当てはまることのように思えました。
他国の文化水準を上げてやろうと支援する先進国は、動機が善なのか建前なのかわかりませんが、本当に「正しい」ことをしていると言えるのでしょうか?
もっと小規模なレベルでは、親や学校の先生は子どもの為を思って色々な事をしますが、それは本当に子どもの為になっているのでしょうか?
正解を決定するのは限りなく難しいですが、何度も振り返って考え直さなければならないことだと思います。
こちらは読み終えた後だと、大きな絶望の中の一縷の望みという感じがします。
けれどもこれだって、現実に当てはまることです。
現代人のほとんどは、生まれた時から法律通りに出生届を出され、既に法の支配下に置かれています。
それから生きていく中でも、ほとんどの人が、社会と折り合いをつけながら、生きていくことになります。我々は何かと周囲を頼らなければ大変生きづらい世界を生きています。
社会に出ると、やがてお金を稼ぐために、社会に貢献しなければなりません。生きるために、隷属の身となる他ないのです。勿論、人に使われる側ではなく使う側にいる人、或いはその必要が無いほどのお金持ちもいるでしょう。けれども、大多数が隷属の身となることによって、今の社会は成り立っています。
けれども、たとえ隷属の身であっても、己の魂を失うことだけは決してありません。
もしかすると、己の魂を売り渡してしまう人もいるのかもしれません。作中でも、もしかするとこれは一個人の意見に過ぎないかもしれません。
でも私はこの登場人物に共感し、自分も決して自分の魂を失わないようにしようと思えました。
読み始めた頃は人類がこれからどうなるのか、ドキドキしながら読んでいましたが、後半はむしろオーヴァーロードに肩入れしながら読みました。
改めて読み直したらまた新たな発見があるかもしれません。読んでよかったです。
おわりに
今回SFの大作を読んで、SFも色々読みたいなぁと思いました。
これまで読んだものでパッと思いつくのは、新井素子『チグリスとユーフラテス』と、小学生の頃に読んだH.G.ヴェルヌの『タイムマシン』です。
筒井康隆『旅のラゴス』もSFに入るでしょうか。
次に読むものはまだ決めていませんが、今気になっているのは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』です。
ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。
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