【グレーマンの物語】2022/11/09/Wed

とあるツイートを見て苛立ってしまった。エアリプで申し訳ない。
努力、行動してもそれが結びつかないことがある。さすがに20年でわかる。だが、それを「行動が足りない。努力が足りない。」という人もある。これは憶測だがそういう非難してくる人に負けるので、自分がやってきた実に結ばなかった経験を強く反論できないのであって、やってきたことは間違いない人も多くいるのではないか。ただ結果が全て、力ある人間が全てで、敗者の弁はない。だから成功者は、つまり成功した人はそれまでの過程が正となり強い発言となる。それは当然だと思うがそれをしたから成功ではなく成功したからそれが正となるだけ。

だから、成功していな過程は沢山ある。それだけのような気がしている。
たまたま(?)成功して強者の面をされとても悔しい思いをしているが、
だが敗者、弱者は力がないので泣き寝入りするしかない。ただ、過程の正を認めるわけには行かない。だってそれが正なら皆やってるであろう。

しかし、そこから気付いたのは、強者はトーク力がある。あと少々のブラフがあろうとなかろうと気にしない神経さ。本人はブラフではないと激怒しようが、逆に繊細な人間からしたら気になってしまう。その繊細な人間が活きる世界はどうも住みにくい感じてしている。私のことを言っている。

もっともハイレベルなスペックの繊細型人間だと成功もあり得るが、凡人以下の私では繊細=単なる怯えた負け犬、では生きる術や場所がない。相変わらずここで愚痴をもらすだけである。ではトーク力を身に付ければ?とも思ったことは少しはあるが瞬時に無理だと確信しているので無理である。

話は変り、歯医者に行ってきた。受付の人はとてつもなく親身な対応でかなり戸惑った。いい意味で戸惑うのは良いのか悪いのか。と言うのもこれがスタンダードになれば、他のクリニックや店での接客で差を感じ悪く受け止めてしまうであろう。だから今から今の所が特別なんだと思い込むようにしている。技術も良かった。困った。良い意味で困った。前回の歯医者とは違った。

人生もこんなことにはならないだろうか。選択を変えれば、環境を変えれば、価値観を変えれば、不幸が幸に、孤立が連帯に、砂漠を歩いていたがようやくオアシスへ辿りつけるだろうか。

少なくとも病院選びではそう学んだ。薬局もそう。同じ病院、薬局はどこも同じだと思ったらえらい違い。天国と地獄。選択は大事だ。選択するにはリサーチも同じく大事だ。

親や他の人も言う。とにかくなんでもやれ、とにかく行動しろ、と。
それで20年間間違ったベクトル、地獄の道へと進んでいたと思うと悔しくてたまらない。20年間だ。20年の怨念は凄まじい。

ただ成功もまだしていない。だから結局それも間違っているとも言えない。それが間違っていたとわかるためには今までとは違う選択、行動をしてみようと思う。それで今までの人生、地獄の人生から脱せられるならば、やはり間違いだった事になる。だから気を付けなければいけないのはあくまで私にとってである。そのアドバイスする人にとってはそれで成功できたのであろう。そこは私の方が大人になってそう受け止めよう。1方向しか見えない大人もいる。視野をもっと広げて見れない大人もいる。しょうがない。本来はむしろこちらが頼りたいわけなのだが、ここは我慢し耐えてこちらが大人になるしかない。孤立が辛いので頼りたいのだが、間違ったものに頼ってもお互いが不幸になる。

ここ2、3年は特に専門家、医師やカウンセラー、周囲のツイートを鑑みると、必ずしも私は故障したロボットでもないらしい。活きる場がない。それが正しい分析のようである。だがそれを言うと言い訳とか、そんなのどうでもいい動けという声が聞える。動いた。行動した。でも上手くいかなかった。その年月の責任はとってくれるのか。時間はかえってこない。代えられるものはない。人の発言を管理する権利はない。だとすればこちらがスルーするしかない。大人になるしかない。

話は自分の事へ替える。長年上手くいかなかったのであればそれ以外をやってみる。選択を変えてみる。パターンを変えてみる。それしかない。怪しい自己啓発やスピリチュアル、情報商材も無理である。それも経験済だ。

なので、今後は新たに今までのこと以外をリサーチし、新しいことへの選択・行動へ挑戦してみようと思う。

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