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ロシアからの日記。 第2話。なぜ私のロシア人の知り合いはプーチンの戦争を支持していません

こんにちは!

ディストピア化していくロシアからの日記の続きです。前の記事には、なぜ私の親戚、友達や長年の知り合いはプーチンが開始した戦争を正当化していて、プーチンを支持していることについて書きました。でも私の周囲の中に逆の意見を持っている人達もいます。(でなければ、私にとってこの事態は更に凌ぎ難くなったでしょう)。ですから今日の記事のテーマは、その人達の意見です。

SNSのお陰で、仕事上で、又勉強上で知り合った多くの人達は戦争についてどう思うか、大体分かっています。ロシアでは、戦争について公式情報と異なっている情報を広める人に対しての行政法的や刑法的責任がかなり重くなったのに、SNSに反戦の意見は様々な形で広がっています。(でもそんな活動の規模と形はSNSによって異なっています)。それについて別の記事に書くかもしれません。でも、前の記事と同じく、今日は私が戦争について詳しい話をした親戚、友達や仲のいい知り合いの意見について述べたいです。

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Gさんは戦争の前に非政治主義者でした。今も特に政治的アジェンダとニュースアジェンダに拘っていません。その上、消費しているメディアは主に国立のマスコミです。それでもGさんは反戦の立場を取っています。「私は常識のある人だ、と思っている。だから常識のある人間として、この戦争も、何の戦争も支持できない」、とGさんは言いました。

Gさんはロシアの行動は無法で、理不尽で、酷いだ、と思って、ウクライナ国民の苦しみを切なく感じています。「ロシア人とウクライナ人の共通の血筋は強いだ。ロシア人の多くはウクライナ人の親戚を持っている。例えば、私の亡きお祖父さんはウクライナ人だった。だからロシア人は兄弟の民族を酷い目に遭わせていることは深い悲劇だ」、とGさんは言いました。Gさんのお父さんの考えもそのようです。Gさんによると、お父さんは「将来もし孫が生まれて、少し大きくなって、私に、なぜ私達はウクライナへ侵攻したのか、と聞いたら、どんな顔で、何を答えるべきか、と悩んでいる。今の戦争はロシアの国民の恥だ。私達は血まみれだ」、と言いました。

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HさんとIさんはカップルです。二人の青春はソ連の時代に当たって、ソ連の崩壊も、1990年代の不安定性も経験しました。ある程度の成功と安定性を達したのは、プーチンの時代の後半分です。けれど主に進歩的や自由主義的考えの人達です。

とは言え、ロシアとウクライナの長く続いている複雑な関係に対してHさんとIは複雑な思いを持っています。その関係の中でウクライナは一概に正しかった、と思っていません。主戦論者とプロパガンダがよく付けている理屈の一部を (主にウクライナの歴史とウクライナ語の由来について) 否定していません。又戦争の前にウクライナである程度のナショナリズムがあった、と言う意見にも一応賛成です。でもHさんとIさんは、そのような理屈は戦争を開始するには妥当な理由にならない、と思っています。

「ウクライナの政府は国内にどんな政策を行うかは、ウクライナの国内問題だ。それはロシアが干渉すべきことじゃない」、とHさんは言いました。ウクライナの独立国としての歴史の長さに関わらず、ロシアはウクライナの統治権を尊敬するべきだ、とHさんとIさんは主張しています。

二人の意見によると、仮令ウクライナに8年前起こったマイダン革命の結果やそれに伴った権力の変わりは無法だったとしても、ポロシェンコとゼレンスキーの下で反露プロパガンダが広がったことに信じるにしても、肝心なのはウクライナ住民の命です。だから何の言い訳と理屈を上げても、それは沢山の命を滅ぼすことを正当化できない、とHさんとIさんは思っています。そして、ウクライナのプロパガンダのせいかどうかに関わらず、マイダンの頃から考えがずいぶん変わって、今のウクライナ国民は8年前のウクライナ国民じゃないから、彼方に強いてロシアを愛させることは無理で、彼方の選択を認めるしかない、とHさんとIさんは主張しています。

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JさんとKさんもカップルで、自由主義の考えの人達です。二人は、ロシア政府が長年行っていた政策に対して批判的立場を取っていて、ウクライナへ侵攻にも端的に反対です。JさんとKさんは、この戦争は無法で、不人情だけじゃなく、何のメリットもなくて、ロシア国民の未来にとっても自己破壊的だ、と考えています。

言っておきたいことは、二人はメディア・リテラシーと批判的思考のレベルが比較的に高い方で、ロシアのプロパガンダだけじゃなく、西側諸国やウクライナのマスコミにも一概に信用していません。特にJさんは戦争についての情報に対して「今は100%に正しい情報を与える情報源がどこにもない」、と思っています。それでロシア軍隊だけじゃなく、ウクライナ軍隊も戦争犯罪や倫理的に正しくない行為をしている可能性を否定していません。でもそのような行為は可能になったことも、今ウクライナに広がっている数え切れない悲惨な出来事も、全てロシアのウクライナへ侵攻の直接結果で、ロシアの責任だ、とJさんとKさんは主張しています。8年間続いている、ドンバスを巡る争いとその争いの犠牲者もロシアの無法な行為の結果だ、と思っています。(面白いニュアンスは、二人はクリミアの併合を一応認めていること。原因は、JさんとKさんは併合の後クリミアを回って、多くの現地人と話したこと。「クリミアの住民のほとんどは、クリミアはロシアの一部になるのを心から望んでいた、と分かった。でもロシアは併合をしなかったら、その夢は実現しなかっただろう」、とKさんは言いました。けれども併合過程そのものの無法性をJさんも、Kさんも認めています。)

Jさんは物事をできるだけ冷静に考えるようにして、主戦論者の理屈と動機を分析して、理解するようにしています。それに引き換えて、Kさんはもっと感情的です。(でも私はその感情を分かっています。)「今の状況で、ロシアの軍隊はウクライナの都市を滅ぼしていて、大勢のウクライナ人を殺している内に、沢山のロシア人は下らない言い訳を付けて、この戦争を正当化しているのはすごく腹立たしい」、とKさんは言いました。

Kさんによると、その下らなくて、腹立たしい言い訳の一つは、「合衆国はいろんな国の内政に干渉して、沢山の戦争に参加して、沢山の戦争犯罪を犯したが、他の世界は、ロシアの場合と違って、合衆国を非難しないで、黙っていた」、と言う、主戦論者がよく使っている論拠です。「私は合衆国の悪行と犯罪を否定していない。でも彼方は悪いから、此方も悪くなろう、と言う論理は愚かだ。そしてロシアは合衆国に敵える相手だとは、なんと言う自信満々で、無茶なアイデアだ!」、とKさんは憤慨して、言いました。

プロパガンダがよく付けている理屈のもう一つは「ウクライナに広がっているナチズム」です。それについてKさんは「勿論、何のナチズムがウクライナにない、それは大げさだ。ある程度のナショナリズムがあるだろうが、それはどの国でもあるだろう。ロシアではナショナリズムの規模がもっと大きいはずだ」、と言いました。その意見の論拠としてKさんが上げたことは、2020年行われた憲法改正に定まれたロシア民族の特別な地位、ロシア連邦を構成する共和国に対しての現地文化と現地言語を圧している政策、そして一般人の多くの中に広がった元ソ連諸国の出身者やロシア連邦の共和国の出身者に対しての偉そうな扱いです。「ロシアのナショナリストとナチスは長年、自分の行進を行っていた」、とKさんは言いました。(そのイベントは毎年11月4日行われていた「ロシアの行進 (Русский марш/ルースキー•マールシュ)」です。2010年代半ばまでに人気でしたが、2014年後シロヴィキによってだんだん抑圧されました)。

JさんとKさんの年上の親戚は主に戦争を正当化して、又は戦争に対して無関係の態度を取っています。でも親戚以外の周囲 (友達、同僚) の大半は戦争に反対です。JさんとKさんの知り合いの中に反戦の抗議に参加した人がいて、戦争が始まった後ロシアから移住した人もいます。

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私の周囲にも戦争のせいでロシアから移住した人がいます。それはLさんです。Lさんは長年、ロシアの政策に対しても、「ソ連を復活させて、ルースキー・ミール (ロシアの世界)を作ろう、と言うプーチンのマニア」に対しても、非難的立場を取っていました。クリミア併合からLさんのその意見は更に強まった。そして今の戦争は狂気だ、とLさんは主張しています。

ウクライナには、Lさんの沢山の友達が住んでいます。なので自分の母国が彼らを爆撃している、と言う事実を意識して、Lさんは罪悪感と無力感を強く感じるようになりました。食欲がなくなって、ろくに睡眠を取れなくなって、心理的にロシアに住むのは辛くなりました。それでLさんは他の国へ移住するにしました。

感情をさておき、経済の面から見ても、ロシアの未来は暗くて、新しい1990年代は来るかもしれない、とLさんは思っています。しかし問題の本質は経済危機だけであれば、移住しなかっただろう、と言いました。肝心なのは、現在のロシアは常識のある人にとって居辛いだ、とLさんは主張しています。


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今日の記事に紹介した反戦のグループ にも、前の記事に紹介した、この戦争を正当化しているグループにも色々な世代の代表がいます。両グループには、メディア・リテラシーのレベルが高い人やそのレベルが高くない人、プロパガンダのメディアだけを消費している人や色々なメディアを消費している人、政治的アジェンダに拘っている人や非政治主義者がいます。両グループの共通点は、みんなは私に尊敬されている、いい人で、学識があって、常識を持つ人に見えています。

そこでなぜ一つのグループは戦争を正当化して、他のグループは反戦の立場を取っていますか? 私の個人的経験によると、年齢、学歴、メディア・リテラシーや政治観と言うあらゆる素因はある程度の影響を与えても、その質問の真の答えになりません。真実を今も知っていないけど、私に一つの推測があります。それは人間の命の大切さについての考えです。たぶん反戦のグループのみんなは、この世に一番大切なのは人間の命で、何の理由があっても、戦争を開始して、その命を奪うのは許すまじき行為だ、と思っているでしょう。もし主戦のグループの多くは、命の大切さを認めても、それに比べてより大事な概念 (愛国心、歴史的正義、母国の運命、等々) があって、それを守るため、人間の命を犠牲にするのも許すべきだ、と思うかもしれない。

その結論に達して、ちょっと手を焼くような気持ちになりました。「私達の考え方の差は根本的だね」、と意識して。でも、変わっていく現在、時間の流れとその流れに得た個人的経験は人間の考えを変えられます。又多くの場合、抽象的話で見せた立場と毎日見せている態度は違っているのも分かっています。観察し続けましょう。

ここまで読んでくれて、ありがとうございます!

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