あきやま

出版関係の仕事をしています。ふらふらと書店や喫茶店に行っては、新規企画やビシネスモデルなどを考えています。たぶん拙いことばかり書いていると思いますが、よろしくお願いします。

あきやま

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最近の記事

小さく色濃くたくさん

★本文 少し時間が取れたので、久しぶりに田舎の街並みを歩いてみた。 そういえばここ数年、年末以外は田舎に帰っていない。帰るとはいっても、訪れるのは実家と初詣の神社くらいのもので、ただ新幹線やバスで移動するだけの道中。だから街並みを歩くということ自体、10年はしていなかったように思う。 その街は子どものころ、田舎でいちばんの都会だった。 駅前にデパートがあり、その先にアーケードが伸びていて、和菓子屋さんや予備校が連なっていた。少し歩くと、その街ではメインストリートとなる交

    • 大人という矯正力

      人間の成長するスピードには、個体差があるのではないか。 手帳に翌週の予定を書きつけているとき、ふとそんな考えが頭をよぎった。 もちろん、人によって成長のスピードが違うことはあるだろう。しかし、そういったわずかな差ではなく、目に見えて異なるということがあるのではないか。 僕に限って言えば、ほかの人より10年は遅れている気がする。 なんとなくそんなふうに思えた。 なぜそんなことを思ったのかは、すぐにわかった。 きっかけは「手帳」だ。 僕はこれまで、うまく手帳を使えたことがな

      • 世界と人とは常につながっていて、世界から人に訴えかけるものも、少なからずあるのではないか。 そんなことを空想した春の日。 http://tenro-in.com/writing/10798

        • かさぶたの安堵感と寂寥感

          恥ずかしながら、冬も終わりかけたある日、座骨神経痛らしきものになった。 前の晩、変な姿勢で寝ていたことは覚えているので、はじめは「寝違えたかな」と思って放っておいたのだが、一向によくならない。症状としては、姿勢によってお尻の下あたりがズキズキと痛む感じ。脚がつっている感覚に似ているかもしれない。 歩く分には自分で速さを調整できるので、トボトボ、まさにトボトボと歩けば痛みは軽減できるのだが、思いのほか電車が辛い。座ることができれば問題ないのだが、立つことになると、左右や前後の

          梅干しの刺激

          僕は昔、塩分の好きな子どもだった。 どれくらい好きだったかというと、夏休みの自由研究で食塩の溶解度を調べ、その実験結果の食塩水をあとでちびちび飲むのが好きだったほどだ。僕はそのせいで腎臓病になりかけ、しばらく塩分制限食にされていたことを覚えている。おそらく、塩をなめたときの刺激が好きだったのだと思う。 塩分が好きだったのは、やはり家庭の影響が大きいと思うのだが、実家では自家製の梅干しを漬けていて、ある甕は普通の赤梅、ある甕は若い青梅、そしてある甕は焼酎梅と、いくつかの種

          梅干しの刺激

          味噌汁で目が覚めるということ

          ある週末の夜のこと。 その日は食材が切れていて、夜も遅かったので、ラーメンでも食べて帰ろうと思った。金曜日だし、豪勢に行くのもいいかなぁと。 あのお店は前に行ったし、あのお店がいいかな……。そんなことを考えつつ、少し遠回りして近所のラーメン屋さんへ。 しかし、お店の前まで行ってみると、週末の夜のせいか満席。並んで待つほどの思い入れもなかった僕は、近くの牛丼屋さんで夕飯を食べることにした。 注文したあと、僕は明日やるべきことをぼーっと考えていたように思う。 掃除機を掛けて

          味噌汁で目が覚めるということ

          そのポイントに価値はあるのか?

          僕は、書籍編集の仕事をしている職業柄か、書店には足繁く通っている。 「職業柄」というのは言い訳で、単に書店が好きなのだ。本より書店のほうが好きと言っていい。 いつも「仕事半分、趣味半分」で何となく書店へ出掛ける。心持ちは「仕事2割、趣味8割」みたいな感じだ。「こんな新刊が出たのか」とか、「この棚は回転しないな」とか、ぶつぶつ独り言をつぶやきながら、本を手に取っては中をぱらぱらとめくり、目次や奥付を見て元に戻す。気になるものがあれば、Evernoteにメモしたり、amazon

          そのポイントに価値はあるのか?

          山芋の自己主張

          子どものころ、僕は山芋が食べられなかった。 わが家ではよく、山芋の「短冊切り」と「すりおろし」が食卓に並んだが、僕はとくに短冊切りのほうがダメだった。 すりおろしのほうが見た目は気持ち悪いけれど、固形でない分、そのまま流し込めば食べられる。しかし、固形のほうはどうにも喉を通らない。 母は、僕が山芋を苦手なことは知っていたが、そのほかの家族はみんな山芋が好きだったようで、よく夕食に出された。 ただ母は、そんな僕を見かねたのか、たいてい「そんなに嫌なら残しておきなさい」と言

          山芋の自己主張

          シチューの記憶

          「シチュー」というと、なぜか母を思い出す。 決して母がよくシチューを作ってくれたというわけでもないし、母のシチューが特別好きだったという記憶もないのだが、なぜか僕の中ではシチューは母のイメージだ。 これは勝手なイメージというか、先入観というか、そういうたぐいのものなのだと思う。逆に、カレーには父のイメージがある。これに全く根拠はない。 母から言わせれば、僕は「離乳食が好きな子」だったらしい。 こんな話を以前に同僚にしたら、思いのほか大笑いされた。 普通にご飯が食べ

          シチューの記憶