![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/1725695/rectangle_large_06d68e52d804968e84e43c11dc73cbc9.jpg?width=1200)
小さく色濃くたくさん
★本文
少し時間が取れたので、久しぶりに田舎の街並みを歩いてみた。
そういえばここ数年、年末以外は田舎に帰っていない。帰るとはいっても、訪れるのは実家と初詣の神社くらいのもので、ただ新幹線やバスで移動するだけの道中。だから街並みを歩くということ自体、10年はしていなかったように思う。
その街は子どものころ、田舎でいちばんの都会だった。
駅前にデパートがあり、その先にアーケードが伸びていて、和菓子屋さんや予備校が連なっていた。少し歩くと、その街ではメインストリートとなる交差点があって、化粧品屋さんやCDショップがあった。また、ちょっと入った脇道には、昔よく通ったラーメン屋さんと、一度だけ泊まったことのあるホテルがあった。
当時は、目的がなければ来てはいけない場所のように思えて、街を歩くときはどことなく緊張していた。おそらく周りの景色はあまり目に入っていなかったように思う。そして、いつも同じ道ばかりを歩いていた。
今になって、何の目的もなく、「ただ歩く」ことができるようになると、いろいろなものが目に飛び込んでくる。閉鎖された映画館、蔵を改築した喫茶店、路地裏の飲み屋街と、そこでキャッチボールをする子どもたち。
懐かしさはあまりなく、むしろ初めて訪れたかのような新鮮な感覚があった。それほどに僕の記憶は薄れていたし、現実として街自体も以前より寂れてしまっていた。
そんな街の一角に目的の書店はあった。
その街並みを歩いたのは、その書店に訪れるためでもあった。
その書店はとても小さかった。
ブックカフェではあったけれど、カウンター席が5席ほどと、4人掛けのテーブル席が1つしかない。そこに、常連客らしい男性1人と、小学生らしい女の子2人、それと店主らしい女性1人がいた。
男性はテーブル席の1つに腰掛け、コーヒーを飲みながら本を読んでいた。おそらくお店の本なのだろう、少しすると彼は「ごちそうさま」と言って本を置いて出て行ってしまった。
僕はいつものように端から端へと棚を見て回った。
棚の半分ほどは絵本で占められていた。きっと店主の考えでそういう品揃えにしているのだろう。そうして、実用書、ビジネス書、文芸書と見ていくうちに、奥から女の子の笑え声が聞こえてきた。どうやら、女の子が店主とミシンで遊んでいるようだった。
「そうか、ミシンで遊んでいたのか」と最初は思った。
目を向けると、アンティークのようなミシンがレジの横にあり、店主が絡まった糸をほどきながら、女の子と話をしていた。
そして、そのときまで気づかなかったのだが、2階に続く階段の見えないところに、もう一人の女の子がじっと座って本を読んでいた。夢中で読んでいるのか、本に視線を向けたまま、ページをめくる手だけが動いていた。それはとても「絵になっている」ように思えた。
「ミシン」と「遊ぶ」、「女性」と「女の子」、「書店」と「読書」。
寂れた田舎街の夕暮れ、笑い声とコーヒーの香りに満ちた店内。
もしかしたらその光景は、そのお店によくあるものだったのかもしれない。けれど、僕にはそれが、なんだかとても大切なもののように思えた。うまくは言えないけれど、とても貴重で、一貫性があって、自分の理想に近いもののような気がしたのだ。
広くはないその空間に、そのお店が創り上げた独特の雰囲気や空気感のようなものが漂っていた。それは、大げさに言えば、環境とかコミュニティとかいったものに近いのかもしれない。
コミュニティを創り出すということは、大小関係なく、なかなか難しいことだと思う。けれど、もっともっと小さく、個人単位のところから考え出せば、まったく不可能というものでもない。そういった身近で手が伸ばせそうなところから環境を創り出し、将来につなげていく。大小は気にせず、小さくてもできることから始めていく。そういった動き自体がとても重要なことなのかもしれない。
いきなり大きなことはできないし、できないからといって諦めてしまうのはもったいない。だから、できることを少しずつやっていく。そして、みんなが少しずつできることをやって、小さな力が少しずつ集まっていく。そうして、少しずつ事態は変わっていく。
もしかしたら、大きなことを手薄くやるより、小さなことを色濃くやって、それがたくさんに増えるほうが、近道なのかではないか。
そんなことを考え、ちょっと勇気付けられた気持ちになった。どうやら思いがけず、いい散歩になったみたいだ。