山芋の自己主張
子どものころ、僕は山芋が食べられなかった。
わが家ではよく、山芋の「短冊切り」と「すりおろし」が食卓に並んだが、僕はとくに短冊切りのほうがダメだった。
すりおろしのほうが見た目は気持ち悪いけれど、固形でない分、そのまま流し込めば食べられる。しかし、固形のほうはどうにも喉を通らない。
母は、僕が山芋を苦手なことは知っていたが、そのほかの家族はみんな山芋が好きだったようで、よく夕食に出された。
ただ母は、そんな僕を見かねたのか、たいてい「そんなに嫌なら残しておきなさい」と言った。ニンジンやピーマンを残したときには叱ってくるのに、山芋は残していいというのが不思議だった。
僕はそのころ、野菜にはきっと「野菜カースト」のようなものがあって、ニンジンやピーマン、ナスのような野菜の代表格はカーストの上位に君臨し、下部に位置する山芋や山菜などは食べなくてもいい存在なのだろうと、勝手に思っていた。野菜カーストの下部に入るのはきっと、「食べなくても栄養価では困らないもの」なのだろうと考えていた。
だから、山芋を嫌いだったのにもかかわらず、「食べられるようになってやろう」とは少しも思わず、そのまま放っておいた。たまに「そろそろ食べられるようになったかな」と、試しに口に運んでみるものの、やっぱりダメで、吐き出すということを何度か経験しながらも。
親元を離れると、避けて通らなくても、山芋などには出くわさない。
山芋を嫌いだったことすらも忘れていたのだが、あるとき、たしか「ねぎし」だったと思うが、定食を注文したら、とろろも一緒に付いてきた。そのころは田舎から出てきたばかりで、メニューをよく見ずに注文してしまったようだった。そして、そのとろろをどうするかで少し悩んだ。
「残してもいいか」とは思ったものの、「そろそろ食べられるようになっているかもしれない」という思いもあり、試しにご飯に掛けて口に運んでみた。
これが何の抵抗もなく、するっと食べられたのだ。
ただ「食べられた」というだけではなく、「これはおいしい」と思った。
可能性として、わが家で食べた山芋が、たいそうまずいものだったのではないかとも思ったが、おそらく僕自身が成長したということなのだろう。
それまでまったく受け付けなかったというのに、ここまで苦なく食べられるということが不思議だった。あそこまで僕に自己主張を続けてきた山芋が、ほんの数年、時間を置いただけで好意的になる。彼の存在すら忘れていたのに、自分の成長によって、何の意図も努力もなく彼を受け入れられるようになる。こういうこともあるんだなと思った。
ある日、母から急に「野菜を送った」とのメールが届いた。
「中身は何か」と返信したが、「開けてのお楽しみ」とのことだった。
結局、メールはそのままになってしまい、日曜日に宅配便を受け取ってから中身を知ることになる。段ボール箱を開けてみると、ニンジン、ジャガイモ、ダイコン、ネギと、そして彼、山芋の姿が。
母は、僕が山芋を苦手なことを忘れていたのか、それとも「そろそろ食べられるだろう」と思ったのか。もし後者だったとしたら、何という直感だろう。母としての直感なのか、人生の先輩としての直感なのか。
それまで、自ら山芋を買うということはなかったから、料理の仕方はよくわからなかったが、まずは試しに炒めてみようと思った。
最初に水洗いをし、ピーラーで皮をむく。しかし、むいた先から山芋がぬめぬめしてくる。皮をすべてむき終わり、もう一度水洗いをしてみたが、ぬめぬめは取れない。
「まぁ、こういうものだろう」と思い、ぬめぬめしたまま山芋を短冊切りにしてフライパンで炒める。ちょうど残っていた白菜とタマネギ、舞茸も入れ、高菜で味を付ける。
炒めてみると、これはこれでおいしい。高菜がいい塩加減でバランスを取ってくれている。少し残るぬめぬめした感じも、いいアクセントになっている。
まさか、あれほど嫌っていた山芋を、自分で料理をすることになるとは思ってもみなかった。そして、そのとき改めて、山芋の確固とした自己主張に気付く。
手が痒くて仕方がないのだ。
彼の自己主張は健在だった。
そして、野菜、動物、生き物とは、本来そういうものなのかもしれないと思った。自己主張あってこその固体、自己主張あってこその生命。そういう自己主張で世界は成り立っているのかもしれない。そして、その味を活かすには、ほかの食材や調味料に負けてはいけないのかもしれない。
さて、次は山芋を煮てみるか。
単なる「短冊切り」と「すりおろし」では、つまらないからな。
それも僕の自己主張。