もし悪を知らなかったとしたら、どうして善を知り、善をよろこぶことができる?
アミとペドリートは散歩しながら「悪い人」について話していました。
悪い人もいつか良い人間に到達できるよ。
というアミに対してペドリートは
「さいしょから良い人間に生まれていたなら、この世のどこにも悪は存在しないだろうけどね」
『もし悪を知らなかったとしたら、どうして善を知り、善を喜ぶことができる?』
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これは善と悪でなく
「これはイヤ」「これが良い」
「これは嫌い」「これが好き」
で例えると分かりやすいと思います。
もしあなたが人から嫌がらせをされたり悪口を言われたり、、、不当な扱いを受けたとします。
その瞬間は悲しい思いをしますよね。
傷つきますよね。
ここだけ見ると一見悪い体験のように感じますが、逆に自分の「これが良い」を発見できるチャンスでもあります。
嫌がらせや悪口のない世界
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あたたかい人に囲まれたい、優しい人と過ごしたい、人の良いところを見てそれを伝えられる人と居たい。
こんな感じでしょうか。
これがアミの言う『善』です。
この善を知るために悪があるということですね。
皆さんも「悪」に出会ったらぜひ「善」へ転換してみてください。
自分のことを知る1歩にもなりますよ。
marina