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偉大なる人、

母。

新しく始まったバイトや卒論で予定表が気持ち悪いほど色づいた8月。家にいる日は毎日していた家族との電話をやっと今月初めてすることができた。落ちる所まで落ちきって、死にたいとさえ思ったりもした少しおかしな1ヶ月だった。

最初何の話をしていたかな、ダイエットの話かな。その後私の恋愛と人生の話に変わった。

「正直に言うけど、前の人と一緒にいるときのあんたは話しにくかった。前の人だってあんたからしたら本当に好きで良い人だったことは分かるけんその子は悪いと思わんけど、男なんかで変わって欲しくなかったし、ただあんたは恋に恋しちょう状態だった。」

言葉が出なかった。

何でしばらく話もしていなかったのに、私が最近思っていたことが分かるんだろう。

方言混じりの言葉で母の言葉は続く。

好きな人は探すもんじゃなくて、気づいたら好きになってるもんでしょう。だけん今新しく探しちょう今のあんた自体がいけんわね。」

友達だって、多けりゃ良いってもんじゃないと思うよお母さんは。お母さんも、あぁこの人とは合わんなって思ったら離れちょったし、仕事場で仕事の愚痴やなんやを話せる人がいて、でもその人とプライベートであわんかったらそれはそれで離れれば良い。

友達も恋人もちゃんと合う人を探すこと自体が違うし、ちゃんと合うことを期待しちょってもいけんわね。

その子と過ごしていく中で『あぁ、この子は私のことをしっかりと見てくれてしっかりと評価してくれる子だ』って気づいたら思ってて、気づいたらその子を大事にしとるけん。そこへの期待は無くとも、勝手に信頼しとるもんだと思うけどね。

そういう人が一人でもいれば十分だし、家族っていうのはそういうもんだわね。

あぁ、もっと早く相談すれば良かったなぁ。やっと私の欲しい言葉があって、その言葉はずっと前から母はもっていたのに。それに気づけない私になっていたんだなと思う。

言葉という刃物で私は殺された。だけど私は自分を守ろうともしなかったし、向き合うという闘いから逃げた私が弱かった。

もうあのときの私に、私も戻りたくない。仮に同じ状況を取り戻したとしても、前の私でなんか絶対いたくない。でも私を強く保てる自信も正直まだ無いのだ。


離れたからこそ感じる「家族」

今でこそ私は周りの友達から「杏奈の家族って本当に仲良いね。」とか、「杏奈の家みたいな家族がいい。」と言われるようになった。私もそんな家族に誇りを持っているけれど、一緒に住んでいた時は毎日感じる圧が苦しく、それもあって私は人の顔色を常に伺う自分になったことは間違いない。

人から驚かれるけど、私も妹も思春期の多くの人が当たり前にある反抗期は無かったし、それは仲が良い家族だからだと思われそうだけど全然そうじゃない。

だけど、家族と離れたからこそ今本当に愛情を感じる。というより、その愛に気づけるような人間に私がなれたのかもしれない。

そんな人間になれたかと思うと、私が選んできた道は間違いじゃなかったなと感じる。

そんな私に育ててくれた母や父の言うことは、多分私も辿り着いた先で同じような考えに至るものだと思う。

だからこそ、その正解に早く辿り着きたい。一歩一歩、自分の力で。

信頼する人

母が教えてくれたこと。それは信頼に対する値みたいなもの。

それは数が多ければ良いというものではなく、その個に対する信頼の度合いがどれだけ強く結ばれているかが大事だ。

その信頼はどのようにすれば強くなるものなのか、答えは「感謝」であると私は迷わず答えるだろう。

無理矢理にでも信頼を獲得しようとするのではなく、ただその存在に感謝すればするほど気づけば信頼しあえているもので、その存在はあなたが辛いときどんな時も隣にある。

私はそんな、今気づけば隣にいてくれる友人と家族に対し、心から感謝をしよう。心から感謝して、感謝をしてくれる恋人ができたら、また心からその人を愛し、感謝をしよう。

またいつか、そんな人に会えたらいいなと涙を2粒流して今日も受け止めるように眠りにつく。

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