記憶と感情を忘れることへの寂しさ

おはこんばんにちは、蜜柑月です。

私が3月に書いた、「寂しさを忘れることへの恐怖」と少し似ていますが、私の思考を整理する意味としても、書いてみようと思います。

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自分の演奏を褒められた嬉しさ、よく頑張ったと認められて心がじんと温まる感覚、受験勉強の中で、もう少しで問題が解けそうだったという悔しさ、自分がたくさんの人に守られて、応援されていることに気づいて、これ以上なく尊く感じ、涙を流したこと───。

幸せな記憶も、苦い記憶も。今、ふっと振り返れば、かけがえのない私だけの記憶です。

できれば、全て覚えていたい。ひとつも余すことなく。

だけど、人間は忘れる生き物だから。
1日、1週間、1ヶ月、1年。新しい記憶と感情が積もるのと同時に、今、尊くて忘れたくないことまで忘れてしまうのでしょう。

それに、事実は揺るがないけれど、その事実に対する感覚というのは、必ずしも一定とは限らないのだと思っています。
年月を重ねるにつれて、その瞬間に訪れていた感覚は薄く掠れていって、代わりに余計な脚色が入ってしまう。

嫌だなぁ、辛いなぁ。
精一杯抗いたいなぁ。


生きづらさも数年前に比べれば、だいぶ減ったと思います。自身がHSPだと気づけたこと、自分の感情を客観視できるようになったこと、他人と自分を分けて考えることができるようになったこと…。

だんだん強くなって、傷つきにくくなったとは思うのです。が、それと引き換えに、元から持っていた心の繊細さを失っていないか、弱かった頃の自分が感じていた辛さを同じように持つ人に寄り添えなくなるんじゃないか、そんな心配をするようになってきました。

美しい音楽を聴いてすっと惹き込まれた感覚、木漏れ日と風の心地良さ、優しい笑顔の奥に隠れている、誰かの熱い情熱、あるいは悲しそうな雰囲気。

特に、人に関わる上での敏感さは失いたくなくて。
なんとも思わせないような表情や言葉の裏に隠れている、ネガティブな思いを汲み取って、寄り添える人になりたい。

それから、その人が隠している、燃え盛る覚悟。それを垣間見たとき、私はうっとり見とれてしまう。なんて、魅力的な人なんだろうって。

それらも感じ取れなくなるのなら、私の手元には何が残るんだろう、と思ってしまいます。いっそのこと、強さなんていらないから、弱いなりの繊細さが欲しい、とさえ思うこともあります。

思うことは、1つ。
強さを持った上で、繊細さを失いたくない。
今、とても切に願っていることです。


少しテーマからはそれてしまいましたが、書くと落ち着いてきました。書いているうちに、芋づるのように考えごとが連鎖していってしまいますね。

人間は忘れる生き物。感情が掠れて、脚色が入ってしまうのもしょうがないこと。昔は感じれていた繊細さを失ってしまうこともあるでしょう。

そんな自分にできる唯一のことは、書き留めることだと思っています。それがnoteであれ、日記であれ。

こんな夜中に書くと、朝起きて見返したときが少し恥ずかしいときもありますが、それでも何もしないよりかはましだと思ってしまいます。

たとえ忘れてしまっても、見返したら、ああ、こんなことがあったよな、嬉しかった、悔しかった、辛かった、尊かった…色々思い出せます。
フルカラーで感情を追体験することは出来ないけれど、銘記することで断片的にでも思い起こせるのかな、と。

どうでもいい話をして笑っているときとか、愛想笑いでごまかしたりとかの、日記に留めるほどでもない、何気ない日常が実は眩しかったりするものかもしれません。それもできる限り書き残せたらいいな、とも思うようになりました。


少し長かったかもしれませんが、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

GW明けですので、明日からはゆったりスローペースで頑張ろうと思います。

では、今日はこの辺りで。

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