吉野は桜ではなく葛の幻影
『吉野葛・蘆刈』谷崎潤一郎 (岩波文庫 )
ある方のレビューを読んで後藤明生『吉野大夫』と書き方が似ているなと思って読んでみた。後藤はジグザグ阿弥陀籤(こんな漢字なんだ)方式でどこに辿り着くかわからない面白さ。谷崎『吉野葛』は物語は川の支流に沿いながら深層の源流を探っていくような紀行文学。
歌舞伎の背景となった吉野川の橋とか鼓の皮となった狐からの動物譚やら砂金の流れる王朝(南朝)の支流を辿りながら、友人の母性思慕(母を訪ねて三千里みたいな話は好きだよね)へと。母が家の事情から遊女にだった話や、琴の曲にまつわる話とか美的に描かれてる。
『蘆刈』はさらに発展させたお姫様のお遊さんとの奇妙な恋愛関係のような、その妹と偽装結婚するのだが、未亡人であるお遊さんの従者となりながらエロティックなさな関係を続けていく。その口語の文体もエロスを醸し出す。
(2017/01/08)
『松本清張の「遺言」 『神々の乱心』を読み解く』で谷崎潤一郎の『吉野葛』の冒頭が引用され、かなり重要な役割をはたしているという。
それは吉野というと櫻をイメージするのだが、ここでは吉野川からの背景の山(妹尾山?歌舞伎の演目にも『妹背山婦女庭訓』がある)や橋から向こう側が彼岸の世界、それは後南朝崇拝地域なのだ。
天皇制を巡る南北朝の争い。その系図というような葛が絡まる様が桜の幻想的な情景ではなく、「吉野葛」という日本の深層のどろどろしたものを描いていたのだが、谷崎はそこは雅な記憶(神話)として幻影的に描いていたのかもしれない。
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