本当は51人なんだと
『フィフティ・ピープル (となりの国のものがたり1)』チョン・セラン (著), 斎藤 真理子 (翻訳)( 単行本– 2018)
痛くて、おかしくて、悲しくて、愛しい。
50人のドラマが、あやとりのように絡まり合う。
韓国文学をリードする若手作家による、めくるめく連作短編小説集。
ものがたりの楽しさに満ちた、韓国小説の新シリーズ創刊!
(訳者あとがきより)
家族のように近い関係ではなく、すれ違う程度の人々、良き隣人たちの存在が社会においてどんなに重要かを著者は描きたかったのだろう。
還暦を前にした母親である訳者にとっては、お嫁さんのけがに心を痛めるチェ・エソン、
初の就職でダメージを受けた娘を思いやるイム・チャンボクの二人はまさに同僚、
もう一歩進んで同志のように感じられたし、読む人の立場によってそれぞれに、
忘れられない「人生の同僚」を見つけることができるだろう。
やっと読み終わった。50日ぐらいかかったかそのぐらいのペースで読みたい小説。一日一人ではないけど一日で読み切るにはもったいない作品。映画でいうと「グランウンドホテル」形式。普通に群像劇と言えばいいのか。
登場してくる大学病院は世界というより社会。マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』の副読本かなと思うぐらいに見事に今日的な社会の問題を見据えた短編連作集。
大きな一つの世界(大学病院)のシステム内に存在するのではなく、人々も一つの姿ではなく多様性の現れの中でたまたま対象領域で出会う社会。そしてラストの映画館で重なり合う。
職業環境医のソ・ヒョンジュは労働災害の現実を改善できない。自身の無力感に囚われれ相談した「プロフェッサー」ソ先生との世代間のバトンリレー論は大江健三郎の文学論とも繋がる(大江健三郎『新しい文学のために』)。
司書だったけど司書になれないキム・ハンナは人を想像するとき、その人の所有する本の分類法で想像する。でもこの割合は年令とともに変わるよね。あと木から落ちた「キャディー」ヤン・ヘリョンは骨盤を骨折して大学病院で入院。その後に中国事業をしている社長から秘書としてスカウトされる。
一番のお気に入りは「ポールダンサー」クォン・ヘジョン。「ポールダンサー」ではないけどたまたま酔った勢いで腰痛の為に習っていたポールダンスをクラブで披露した為にSNSであっという間に広がり病院内で問題になって、整形外科から新生児特定集中治療室へ移動させらる。しかし同調圧力に屈しない(空気読めない)新米インターンと腕相撲して結ばれる。ポールダンスはピーターパンやスーパーマンに変態する。人以外でも鳥や甲殻類や、さらにスピンはエンゼルスピンやファイヤースピンやフェアリースピンとクォン・ヘジョンは多様な世界を回る。(2019/03/19)
実際にあった「セウォル号沈没事故」を連想させる。大事故による死傷者数は数字にすぎないが、その中の1人1人の人生は確かにあるのだ。
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