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ヴェルレーヌの手紙もある

『ランボオの手紙』A. ランボオ, 祖川 孝 (翻訳) (角川文庫)

学生時代の野望、愛人ベルレーヌとの関係、アラビアへの逃亡…。二十歳まで詩才の全てを熱焼させ彗星のように世を去った天才詩人の書簡集。天才の生活を生々しく蘇らせる貴重な一冊。

高校時代、詩と思しきものを書いていた時期があった。もうそのノートもないのだが、思い出すだけでも恥ずかしくなる詩だった。そして、ランボーを知るのである。ランボーを読めれば自分も天才のような気がした。しかし、ランボーの詩は読めなかった。

詩は抒情詩のように自分の心の内を読むものだと思っていた。さらに発展させて物語詩。象徴詩。ランボーはさらに高踏派。詩の成り立ちまで探求していく。ランボーが17歳の時に先生に出した手紙で、すでに高踏派を目指すといい、ミューズ(詩神)が降りてきたと。そして、自由を求めてパリにでると宣言するのだ。

周りに詩を語る先生も友もいず詩の熱は覚めてしまった。せいぜいラジオの深夜放送のパーソナリティに送って無視されるのが当たり前だった。まあランボーに成らなくって良かったとは思っている。ランボーはわずか3年で詩に飽きてしまう。詩と文学を捨て、アフリカに旅立つ。最後に書いた詩が『地獄の季節』だった。

『地獄の季節』にまつわる神話の一つにランボーが出版する予定だった詩集をすべて暖炉にくべたというのがある。実際はランボーが支払いが出来ない部数が出版社に置き去りにされていたのだ。しかし、知人に少数配った稀少本がランボーの燃やされた詩集ということで価値が上がった。それはランボーの思惑でもなかったのだが、出版状況が資本主義社会に染まりつつある時代だったのだ。

そして、ランボーと言えばそんな社会に背を向けた放浪詩人として、働きもせずに詩を書いていた。そこに現れたのがヴェルレーヌだった。詩と自由を謳歌する野生人ランボーの虜になっていく。ランボーの写真を見ればわかるように美男でもあった。当時はヴェルレーヌの方が詩人として知られていた。ランボーの才能を見出したとも言えるのかもしれないが、何よりランボーの自由に惹かれたのかもしれない。そんな二人の放浪生活が始まる。

ゴダール『気狂いピエロ』で引用される『地獄の季節』の一節が「永遠」と題される詩だった。

また見つかった!
何が? 永遠が。
それは、海。溶け合うのは、
   太陽。

数々の表現者がランボーに憑かれて憧れていった。そんなランボー神話が形作られる。そして、その側にいたヴェルレーヌはランボーとの出会いと別れの中で狂気に陥った。ランボーとヴェルレーヌを別れさせた「ブリュッセル事件」の内幕。ランボーの事件調書と二人の手紙から伺われる生き方の違い。ランボーは失うものを何も持っていなかったがヴェルレーヌは、妻も地位もあった。そこから自由になるための酒(アブサン)とランボーだったのである。

以前はランボーの破天荒さに憧れたが今はヴェルレーヌのどうしようもなさを理解するようになっていた。ヴェルレーヌの詩に触れたからかもしれない。かつて愛する妻がいて詩ももてはやされて、そんな彼の前にランボーという何も持たずに自由で立っている男がいた。彼こそは時代の反逆者だった。そして、ピエロは?

ヴェルレーヌは酔っぱらい、ランボーに向けて銃をぶっ放す。それはヴェルレーヌが自殺するために持っていたものである。決別しなければならなかった二人の生活。死(詩)の精算。ランボーは詩を精算したが、ヴェルレーヌは精算できずに詩にしがみついた。





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