ブルータスとアントニーは義兄弟
『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア (著), 福田 恒存 (翻訳) (新潮文庫)
政治の理想に忠実であろうと、ローマの君主シーザーを刺したブルータス。それを弾劾するアントニーの演説は、ローマを動揺させた。
政治悲劇の裏に(ホモセクシャル的な)愛憎劇を織り込んでいるのがシェイクスピアの面白さですね。
表の政治悲劇をみるならば「100分de名著ル・ボン『群集心理』」の好例とも言うべきアントニーの演説は際立っています。その前にブルータスがシーザーを暗殺した弁明をするだが、アントニーは直情でもって聴衆に訴えるわけです。(映画『ジュリアス・シーザー(1953)』のマーロン・ブランドの演説シーンはアカデミー男優賞)単純明快に繰り返すことによって、ブルータスの言い訳を明らかにする。それは二人共シーザーに囲われていた男だったからブルータスの曖昧さをよく知っている。ホモセクシャルの関係は珍しい時代ではなかった。
後半はシーザーの「遺言状」という捏造なんですけど群衆は信じ込まされてしまう。口約束の公約ですね。この脚本は上手いな。劇的で、まあそれがシェイクスピアだった。ヒトラーの演説と重なってしまう(当時のハリウッドはそういうのがあったでしょうね)。フランス革命を予言しているみたい。
ナイフはペニスを象徴すると言ったのは淀川長治ですけど(『太陽がいっぱい』の解説)、まさにこのドラマの隠された象徴としてのナイフは愛の欲望なのです。そこに政治的であり愛憎劇が生まれる。ブルータスの心の内を最も知るのがアントニーだった。だから、自害したブルータスを讃えて「高潔な中庸の人間だ」というのです。ブルータスの優柔不断さは人間らしい。『ハムレット』の前身であると言われるのもそのあたりなんでしょうね。ブルータスが見る幽霊は父ではなくシーザーだった。シーザーにかつて囲われいていたのがブルータスで今囲われているのがアントニー。義兄弟みたいなもんです(ヤクザ社会と政治社会は繋がっている)。
ブルータスはキャシアスという同志がいるのですが、行動派でブルータスと対立をみせるが、キャシアスの説はすべて正しかった(結果論なんですが)。キャシアスからすればブルータスの思考はことごとく甘いが、それを許してしまう。キャシアスにブルータスの負い目があるのは、シーザーの裏切り者にさせたからなのでしょうか。政治的判断としては正義だけれども、父であり愛人でもある者を裏切り者にしてしまう(それをブルータスはローマの為だと詭弁をろうすることになる)。そこがアントニーとの強さとの違いなのでしょうね。あとアントニーがまだ独身で、ブルータスは愛妻がいるというのも弱点として描かれている。
シーザーもそうだった。妻がいた。女は禍を呼ぶというのがシェイクスピアかこの時代にはあった。そして、『アントニーとクレオパトラ』ではまさに女であり異邦人であるクレオパトラが禍をもたらすのでした。次号期待です。
関連書籍『アントニーとクレオパトラ』シェイクスピア
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