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コレットはベル・エポックの花

『プルーストからコレットへ―いかにして風俗小説を読むか』
工藤庸子 (中公新書)

世紀末から一九二〇年代、パリの文壇にあった二人の作家は、政治思想や倫理道徳の価値基準とは無縁の世界を生き、書き綴った。それが過ぎ去った時代の証言としてたえず読み返されるのはなぜか。小説だけがすくいとることのできる時代精神のありよう、すなわち「風俗」があざやかに映し出されているからである。本書は「風俗を反映しつつそれ自体が風俗的存在でもある文学」という観点から作品を読み、時代の中に位置づける試みである。

プルーストは大作家とイメージだがコレットはあまり良く知らなかった。プルーストの時代に風俗小説を書いていたが、そのプルーストからコレット『踊り子ミツ』を読んで感動したという手紙を貰う。さらにアンドレ・ジッドからも。コレット『シュリ』を読んで無駄な文章が一つもないと褒められる。このフランス文学ニ大巨匠を虜にするコレットとは何者なのか?

プルーストは有名なのでここは、コレット中心に述べる。まずコレットの時代、フランスでは女性作家は珍しかった。最初に書いた「クロディーヌ・シリーズ」は夫であるヴィリー名義で、ゴーストライターとしてベストセラーを出版したのだ。

その後に夫と別れ、自立して書いたのが、生活のために自身踊り子だった体験を描いた小説。それがプルーストの目に止まったというより、プルーストの出入りするサロンにコレットがいた。プルーストはコレットに一目惚れだったようで、コレットは当時のパリでは流行作家でダンサーという人気者だった。

コレットはプルーストの時代(ベル・エポック)に最先端にいた女性で、当時ココ・シャネルのデザインした服を着るような女性だった。プルーストで描かれる飾り羽で着飾ったドレス姿の夫人とは一線を超えていた。そういうゴシック的な貴族からブルジョア社会の風俗を描いたのがコレットだった。プルーストはそういう貴族的世界を『失われた時〜』に描いた。

ちなみに『青い麦』では若者の男女恋愛を描いたフランスで最初の作家と言われている。それまではフランスの子女は修道院に入って恋など出来なかった。恋をするのは結婚後、フランスでは結婚(そもそも上流階級は政略結婚が多い)した後に夫も妻も自由に恋愛を楽しんでいた。夫は娼婦と、妻は若い学生と。それでフランス文学は不倫ものが多いのだという。

コレットに話を戻すと夫と別れたのもお互いに愛人が出来たからなのだが、コレットの方は同性愛だった。そのへんもプルーストと相通じるものがあったのかも。プルーストの出入りするサロンにコレットは花形スターとして出入りして、プルーストの描く世界の人だった。それも最先端を行く女性だ。

ダンサーでそれもストリップまがいのいかがわしさをまとっていたが、健康美のコレット。晩年のプルーストは病弱で健康面では優れなかった。それが『失われた時を求めて』のベッドのシーンから始まる身体的描写だった「意識の流れ」。一方コレットのほうが肉体的には健康美、それはプルーストが描いたスポーツ少女(アルベルチーヌ)の世界にいる人のように輝いていた。アルベルチーヌも同性愛をほのめかしている。

ストリップ・ダンサーで同性愛者、シャネルを着こなし、作家でもあるというコレットは、まさにベル・エポックの花だったのだ。



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