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文学の遺伝(系譜)というものを考える。
『趣味の遺伝』夏目漱石 Kindle版
明治期の文学者、夏目漱石の初期の小説。初出は「帝国文学」[1906(明治39)年]。1905年12月に8日間で書き上げられた。若い学者の主人公が新橋駅で日露戦争の凱旋兵士の歓迎を見て、戦死した親友を思い出す。翌日墓参りに行くと、若い美人がいて親友の好きな菊の花を供えていた。この二人の関係を祖父の代までさかのぼり「ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後(のち)に認識する」という、持論の「趣味の遺伝」があてはまるのを発見する。
漱石の初期の短編。エッセイ的な語りから、だらだらと彷徨っていき、一気にテーマになっていく感じが、最近流行りのエッセイ小説のような。「私小説」はこういうものだと示したのか?真面目なテーマのうちに滑稽文学のエッセンスが詰まっている。
オープニングがごうく(狗)の群れが神の命令で血を啜るという露人の人々を虐殺する満州の戦争の様子が描かれる。語り手の空想なのだが、それが凱旋パレードとつながっていく。勝利の凱旋将軍を見に来た野次馬としての群衆と語り手、そして、大衆の「万歳」の声。その「万歳」に対する違和感。
凱旋の将軍(乃木将軍と思われ)の旅順陥落の凱旋パレード。その中にボロ服を纏った帰還兵の軍曹がうろうろと誰かを探し小さな母親らしき者が抱きつく。その母を抱えるように、誰彼はばかることなく歓びを表現する。
語り手の友人は、その戦争で生きて帰ってはこなかった。その墓参りに行くのだが、偶然若い女を見る。この若い女はのちの漱石の小説に出てくる「謎の女」のプロトタイプのようだ。そして、その女について探偵のように探っていく。友人の一人残された母と軍曹の抱えられた滑稽な歓びの母の対比。それは語り手のもの物珍しいものをみたいという野次馬の語り手の滑稽さと群衆の万歳の合唱との対比でもある。
パレードを見ようとする語り手の滑稽さと亡くなった友人との対比でもあるような構図。生きる者の滑稽さは、漱石文学の要なのだ。そして死者の悲しみは悲劇として語られる。滑稽噺を織り込むのは、シェイクスピアの悲劇にもそういう道化者を描くからだとされる。死者の悲劇と遇者の生の対比。それはシェークスピア悲劇の中の道化の役割を語り手が持つ手法なのか。戯作文学は漱石によって私小説に橋渡しされていく。その系譜が芥川→太宰と続いていくような。最近では高橋源一郎かな?
「滑稽の裏には真面目がくっついている。大笑の奥には熱涙が潜んでいる。雑談の底には啾々たる鬼哭(きこく)が聞える。」(夏目漱石『趣味の遺伝』)
そして友人の残した日記と哀れな母がこんなとき語りあう嫁でもいればとふと漏らした言葉から、この小説の作成秘話が語られる。つまり、軍曹の滑稽な母と友人の悲嘆する母の中に、漱石の母の面影がある。
その母に捧げるような小説となっているのだ。それが友人の弔いの仕方で、国家で墓(靖国)を建て、そこに形ばかりの英霊として、納めることではない作者の憤りを感じさせる。
朝日新聞に載っていた川柳を巡ってネトウヨが削除させようと大騒ぎをしているという。そんな世の中になっているのだ。