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年取るのは身体は辛いけど精神は楽しい

『成城だより』大岡昇平

成城に越して来て11年、運動は駅まで15分の片道だけ。体力の衰えに抗しつつ、富永太郎全集に集中、中原中也「山羊の歌」の名の由来を追い、ニューミュージック、映画、テレビ、劇画、広汎な読書、文学賞選考会等、80年代前半の文化、文壇、世相を俎上に載せ、憤り、感動する。70歳にして若々しい好奇心と批評精神で「署名入り匿名批評」と話題を呼んだ日記体エッセイ。上下2巻。

1980年から1986年(大岡70歳から76歳まで)まで文芸誌に連載された身辺日記(途中中断があった)。1980年代の世相が書かれていて、面白かった(当時私は二十歳だった)。竹の子族(妹がそうだった)は愛人をつくらない、とは仲間同士寝ないということなんだろう。

大岡の青春時代は坂口安吾の愛人との裏話が出てきたり(坂口安吾はけっこう酷い男だった)、大岡も関係を持ったように書かれて憤慨したり(その女の人に思いもあったが鼻にもかけられなかった)、逆取材を受けたり。

「中原中也」の写真は修正が施されていて、目を大きくして少女っぽくして「おかま」っぽくしているそうだ。本当は耳が尖って山羊みたいだったと。それで『山羊の歌』。中原中也の伝記を書いていたので、中也の知らない素行(女性関係)が出てきて、伝記作家を悩ませるとか。

とにかく電話魔でわからないとすぐに知り合いの先生や出版社の人に電話して教えを請う。YMOに感動して、坂本龍一の父が知り合いだったから電話したり。

数学の知識を得るために家庭教師を呼んだり(知り合いの数学者の先生)、金井美恵子とレズビアンの話をしたり(安吾の愛人だった矢田津世子は同性愛者でもあった)、吉屋信子のレズビアン小説(少女小説の元祖)についても興味を示し、その延長線で少女漫画も受け入れていたのだと思う。とにかく大岡昇平はこの時代からジェンダーについては意見を持っていた。

印象的なのは76歳で上野千鶴子の本を読んでいることだ。それも話題作の『スカート~』じゃなくて『構造主義の冒険』。「現実意識と可能意識」について、個人的な意識でも集団的に係わっていく構造、大岡昇平が15年問題にしてきたことをやっと同じ問題意識を持った人に出会えたと。大岡は文学から社会学に至った。

映画は評論家のようなレビュー。『地獄の黙示録』に興味を示し立花隆に電話したり、ベルトリッチ『1900年』を評価しなかったり、逆に『ノスタルジア』の水に係る視点から大岡自身の嫌な体験を語って(『武蔵野夫人』が水を巡る小説だった)、タルコフスキーの水に対するこだわりを見抜く。

女優のルイズ・ブルックスの死亡記事から彼女の想い出。80年代の一時期彼女のヘア・スタイルが流行った。「ヴァンプ」は「ヴァンパイヤー」から来ているのか。「ヴァンプ女優」のイメージとしては京マチ子で露出の多い踊り子のイメージだと思っていた。『ルイズ・ブルックスと「ルル」』という本を出しているぐらいだから、かなりのファン。このへんは青春時代だったようで、楽しそうに語る。

ファッションもこだわっていたのは娘たちの影響か?吉本隆明とのケンカ(大岡は論争好きなのだが吉本をからかったことから訴訟問題に)はコムデギャルソンを半額セールで買うことで憂さを晴らしたり。

それでも日々の日常では知り合いが次々にあの世に旅立つ。成城の散策もけっこう有名人が住んでいたり、蕎麦屋でカウンター席に案内されて憤慨したりするのは、ほとんどそこらへんの爺さんと変わらない。ただ知識欲は凄い旺盛なのだが、下巻になると病気がちで文章も繰り返しも多くなる。

年取ると幼児退行するようで、「ヘンデルとグレーテル」の童話の話題。捨て子の面倒を見てあげた異邦人(侵略者から見て)を子供が殺戮する占領の物語と見る。あと漱石『こころ』の批評で面白い読みを紹介している。先生の遺書が届いて私がすぐに東京に戻ったのは奥さんのためを思ってのことだと。客観描写がなく、私の心情としては奥さんを救いに戻った。結婚して手記を語る。面白い読み。


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