詩人は面倒くさい人種だなと思う短編集
『紅水晶』蜂飼耳
「崖のにおい」が死、「こぼれ落ちる猿の声」が生、「紅水晶」が性(セックス)をテーマとした短編なのか興味深い。詩人ならではの言葉のきらめきや面白さはあるのだが、掴みどころがない感じで読んでいてイライラさせられる。それはテーマがなかなか見えてこないからなんだけど、めくるめくる展開は案外ストーリーテラーな人なのかもしれない。
崖のにおい
らんちゅうを飼う人々の中心にいる美容ライラーのサエコは「らんちゅう友の会」の編集者というか世話役のような位置にいる女性。そのサエコは森の探索が好きなのだが、そのサエコが出会うトモエ君は「らんちゅう友の会」の会員である男の息子で、飼っているらんちゅうに亡き妻の名前をつけているのだが、ある日弱っていくらんちゅうを預かり正常に戻して返したら死んでしまう。男はまたあたらしいらんちゅうを買ってくるのだが、少年は母の名前の付いたらんちゅうを埋葬していたという日常性の中にふと訪れる奇妙な感覚を捉えた作品だろうか?日常の中にある死がテーマか。
金魚というテーマは岡本かなこの『金魚撩乱』を連想するのは崖という言葉からだろうか?岡本かなこは崖の下の金魚屋の息子の話だった。
こぼれ落ちる猿の声
試験管ベイビー(今では差別的な言葉で体外受精というらしい)というような娘が語り手を卵子提供者の母と勘違いするストーリーからめくるめく物語が展開していく。猿の声は漢詩の誰も踏み込めない山に猿の鳴き声が響くというような印象か。神の力を超えてしまった人知の力というようなものに警告するような猿の声なのか。娘が彼女にわたす金の猿の指輪は、孫悟空のモデルになった猿かもしれない。そうするとお釈迦様の掌というのは人の手のことなのだろうか?そのイメージは竹から生まれたかぐや姫というのは、イメージ的にそんな感じなのかと思う。
ただその娘よりも彼女の子供に対しての考え方は自然によるのがいいという感じなのかもしれない。それは結婚して子供が生まれたのだが、その子供が死んでしまって夫とも別れたが、夫が動物病院で飼っていた猿をペットとして飼っている。彼女の生活はそれだけで満ち足りていたのだが、見知らぬ血縁という娘が出来て困惑するのだが、驚くような結論になっていく。そのストーリーテラーぶりは見事だと思う反面、途中までなかなか先が見えないのでいらいらさせられるところがある短編かもしれない。
紅水晶
表題作の「紅水晶」はセックスを扱った小説だがコミュニケーション不全なのかなと思う。石屋の彼との愛なきセックスを嘆くのだがだらだら一緒にいるのが理解出来ない。自意識が強いのか、相手が見えてない女性で一緒に墓に入ろうという時点で相性最悪と気づけよと思ってしまう。結局他の男とのセックス(情事)があり石屋の彼から愛想をつかされる。性的描写はリアルなので読者サービスなのかなとも思う。それでセックスが嫌いとかかまととかよと思ってしまう。
墓石がベッドから最後棺桶に変わっていくのは見事なストーリーだと思うのだが。どう考えても石屋の彼とは性格が違うのだが、それはセックスだけじゃないと思う。情事の男は石の蛙を買った男で、無用な蛙だが愛着を感じるというような。ものに感情を注ぐタイプはオタク的ではあるが石屋の彼と違うタイプか?もう一人別の男の出現によって揺さぶられる。というか世間的にどうにもならない者同士の繋がりなのか。どっちつかずの性格がイライラさせられるのか詩人と言われれば詩人の感性だと思うのだが面倒くさい女だと感じてしまう。
その先にある死のイメージは、石屋の彼の中にもあるところなのだろうか?死体愛好家のように思ってしまう。性的な語りがいまいち辛い話のようで語らなくてもいいのにと思ってしまう。それは読者サービスなのか?