鎌倉時代のCMソング集?
『梁塵秘抄』(編集) 後白河法皇 , (翻訳)川村 湊(光文社古典新訳文庫)
無常だからこそ、魂のすべてを歌に込める----。
文化的価値の転換期に花開いた芸能に託した、編纂者・後白河院の真意を見誤らないことだ。私の本書での試みは、今様の〝今様〟訳である。(訳者)
歌の練習に明け暮れ、声を嗄らし喉を潰すこと、三度。 サブ・カルチャーが台頭した中世、聖俗一体の歌謡のエネルギーが、後白河法皇を熱狂させた。画期的新訳による中世流行歌全100選!
何やらタイトルが難しそうだが、中世の「今様」(流行歌)なのである。当時は乱世の変革期で世は貴族文化から武士の世へ。そのなかで後白河法皇 が貴族も武家も嫌だと思ったのか、上流よりも下流志向の遊び女や芸人たちと戯れていた。ただそれは宗教的な意味合いもあったようで、現実世界よりも異世界への憧れだったようだ。
例えばカラオケボックスで流行歌を歌いながらこの世の憂さを晴らすというのは、誰もが経験することかもしれない。後白河法皇の潜んでいた宮廷で、もう貴族も武家社会もうんざりしていたのかもしれない。建前上は仏教の和讃や浄土信仰を願うものだったという。それが幻夢世界になって女人たちと戯れて、キャバクラ化したもののようだ。実際の歌はもっと線香臭いのだが。
まあ、翻訳を演歌調にしたのはやり過ぎ感があるかもしれないが。和讃の歌などは、今で言うコマーシャル・ソングなのかと思った
熊野へゆこう 熊野にね
何が一番 苦しいかって?
安松あたりで、待っているのは
可愛い姫松、五葉松
千里の浜を過ぎてもね
熊野詣は熊野権現のご利益にあやかろうとするものだが、その道行は大変なものだった。それで松(待つ)のある場所で仮宿をしてということなのだ。
あと広島の牡蠣がすでに名物だった。それは出産の縁起物として好まれたとか。貝類は鮑とか女性器の意味もあるらしいから。
大河ドラマ『平清盛』で、伊東四朗が演じた後白河法皇が今様を歌っていたと記憶する。それは今よりも遥かに長く音便を伸ばしたお経や歌会始めのような感じだった。
ただ詩の言葉が優しく誰も覚えて口ずさめる歌だった記憶がある。それが「遊びせんとは生まれけん」の今様だった。
伊東四朗といえば電線音頭である。そんなことを思い出してしまい、宴会芸的な戯れが行われていたのだろう。「三角角(つの)の男」で、『徒然草』の話で鼎(三脚の器載せ)を頭に被ったら取れなくなった。無理やり引き取ろうとして血だらけになったというが出ていた。そういう馬鹿なことをやる男が鬼だよと言って女の子を追い回す。ありそうな話だ。
「ザンゲの値打ちもなく」
はかない この世を生きるため
だました男と嘘の数
うみ やま ほどに数え切れない
ザンゲの値打ちもないほどに
阿久悠作詞の「ざんげの値打ちもない」をヒントとして翻訳したそうだ。一番ツボだった。
翻訳は70年世代の懐メロなんで、今の人にはどうかなとは思う。そういう感想も多い。ただ翻訳は意味を理解しやすくするためで、原文も出ているし解説もあるのだから、だから駄目なんだということはないと思う。それが嫌なら岩波文庫の翻訳のないものを読めばいいだけの話だ。このような新訳文庫は歓迎されるべきだ。
解説で、「舞う」が回転運動で「踊る」が跳躍運動だと出ていた。映画『犬王』の猿楽に当てはまるのだろうかと思って読んだ。そんな解説も面白く読んだ。
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