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漱石の反プロレタリア文学

『坑夫』夏目漱石

「本当の人間は妙に纏めにくいものだ。」 十九歳の家出青年が降りてゆく、荒くれ坑夫たちの飯場と「地獄」の鉱山、そしてとらえがたいこころの深み――明治41年、「虞美人草」と「三四郎」の間に著された、漱石文学の真の問題作。

『虞美人草』が比叡(山)に登る話から始まる。次の『坑夫』が鉱山に潜る話。足尾鉱山のことを書いているのだが、鉱山に行くまでが長い。エリート意識がありながら世捨て人。厭世的な気分で坑夫に身を落とす。漱石のプロレタリア文学かブラック企業小説かと思ったが、主人公の自意識だけで進んでいく地獄の三丁目。身分の違い、人間性の問題、青年は鉱山に登って降りていく潜入記。自己の境界=モラトリアムの遊民から人間以下の労働者への転身。でも娑婆にまた戻っていく。だから小説(手記)を書いている。その滑稽さ。

「駆落が自滅の第一なら、この境界の自滅の--第何着かしらないが、とにかく終局地を去る事遠からざる停車場である」。

そして青年は鉱山の穴に入って酸欠になったのか、意識が遠のく(臨死状態)、「死ぬぞ」の他者の声で目覚める。「神は大嫌いだ」。恋人だったら嬉しいが。鉱山で働く同じ境遇に堕ちた先輩坑夫の言葉。「日本人なら、鉱山から出ろ」という。学問のある者が坑夫になるのは日本の損失。1万人の坑夫は畜生という認識。

結局青年は健康診断を受けて、気管支炎になって、娑婆に返されるのかと思ったら、帳付けになった。それまで馬鹿にされていた坑夫にも帳付になった途端に態度が変わった。青年の堕落の始まり。なんじゃこりゃ。(2016/12/16)


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