みんなで詩作、詩人の輪
『詩探しの旅』四元康祐
まずこの本が詩の専門誌に発表されたのではなく、日本経済新聞に書かれたことに驚く。ほとんど現代詩に興味がない読者だと思うのだ。その読者に向けて朝刊の連載のコラム的な記事を書く。まず読みやすさはそういうことなのかもしれない。それは谷川俊太郎の名代という言葉が現しているのだ。谷川俊太郎の代わりに日本代表詩人として、詩のフェスティバルに参加する。その体験が『偽詩人の世にも奇妙な栄光』という小説を書かせたのかもしれない。
何よりも(偽)詩人であることは、詩人として装うことなのかもしれない。そしてマイクの前に立ち詩を朗読するのだ。それは口承詩の世界であり、例えばいまだにロックスター(ヒップホップスターの方が近いか?)のように人気の詩人がいる国であったりすると、その国を代表する詩人ともなれば国賓級の扱いなのである。
そして詩よりもそうした交流の場が宴になるのだった。それは平安文化にあった貴族的な交流なのかもしれない。
しかし、その内実は旧共産圏の国や治安のよくない南米だったり民主化のさ最中の香港であったりするので、各国のニュース記事というような詩があったりする。生の詩人の声として、実際にそのあとに亡くなったパレスチナの詩人とか、数々の粛清を体験してきた詩人たちの短い詩がエッセイの中で紹介されていたりする。
日本では俳句や俳諧などの文化から短詩型で個人だけではなく、数人の詩人で廻していく連詩のスタイルが取り入れられたりするのだった。その試みとして、韓国の詩人、アメリカ在住の中国の詩人、日本から谷川俊太郎、四元氏はドイツのミュンヘン在住でネットを使って連詩が行われたのだ。それは安倍総理の時で、韓国と中国との外交問題を抱えていた時期にそのような試みが行われたのだが、韓国ではフェリーの沈没事故があり韓国詩人の女性は教師でもあり死亡した学生の中に生徒がいて、まともな精神状態ではなく、海を隔てての交流なので海ということで、その詩人に廻したら絶望の詩が返ってきたきたのだ。
このような詩が繰り返されたのでこの連詩は失敗したかと思った四元が谷川俊太郎に相談したら詩人は詩で乗り越えるしかない、という意見でつづけていくうちに途中から詩が変わったのだという。そのあとに全米図書批評家協会賞を受賞したりしていた。
けっこう、そういう悲痛な詩も多いのだが、詩の楽しさは伝わっていく。近年ではAIに自由詩は書けるのかという議論があったり(実際にAI詩を発表している詩人もいるという)。そのAI(海外製)を入れて俳諧の厳密なルールに則ってやったら、けっこう出来るという話。
一番好きな話は詩のフェスティバルで図書館員の格好した詩人のパフォーマンスで詩の移動図書館といって、会員に詩を貸し出すスタイルでパフォーマンスする詩人がどんどん会員数も詩集も増やして、各地のフェスティバルを回っているというカナダの詩人。
あと日本では大阪が詩のメッカであるらしく、そこでしばしば会合とか行われるのだが在日韓国詩人の金時鐘が突然やってきて詩を披露したということもあったという。
そうしてどんどん世界の詩人たちの声が日本にも届いてきているのである。