歌は世につれ、世は歌につれ
『七年の最後』キム ヨンス【著】/橋本 智保【訳】 (韓国文学セレクション)
オーウェル的世界を描いた北朝鮮の実態のような韓国小説。
思想教育(チュチェ思想)がソ連のスターリン主義を否定するような自主路線ということなのだが、それは北朝鮮の国家主義を謳う独裁政治になっていく。そんな中で詩人のキヘンが詩を書くことやめ翻訳家になったのに何故詩を書かないかと自白委員会に問い詰められる。この描写がオーウェル的で告白よりも自白を求めている委員会なのだ。それは自身を疑うように仕向けることで嘘の自白が党の全体主義に叶っているという異端裁判と同じだった。悪を認める以外追求が留まることがない。
その中で自身の言葉を失った詩人が自身の言葉を取り戻す過程が描かれている。それは過去の詩人(白石)たちやベーラのような隣人に促されてキヘン(詩が書けなくなった詩人)が白石の詩を発見して(地下で伝わっていく)、自身の言葉(思想)を取り戻すまでの物語。
著者がこれを書きながら淡谷のり子「人の気も知らないで」を白石がよく聴いていたというの聴いたという。流行歌の中にも自由なる雰囲気を感じたのだ。それは日本の歌だからと禁止されるのだが、かつての青春の恋歌なのだ。日記の方に淡谷のり子版をアップしたから、こっちは美輪明宏版を
変わっていく故郷(国)を恋人にイメージしていたのだ。そこで自殺した反権力親子の娘との出会いやロシアの詩人ベーラと出会い、彼女は雪解けの時代でありスターリン絶対主義ではなく歴史改変が東欧の民主化運動を引き起こしていくのをしっている。そしてかつての英雄都市スタリーングラードがもはや虐殺の都市でしかなかったことも。その民主化の反動として新たに全体主義国家が強まっていくのだった。
白石という実在する詩人とキヘンというフィクションの語り手が入れ子構造になっているのが読みにくいかも。
引用されている詩がいろいろあり楽しめる。火をイメージしたエピグラフの白石「石炭のことば」から詩や歌が引用されるのだが、それが良かった。
ほかにラップ調の韻を踏んだ詩や流行歌のような詩が楽しめる。陳腐な言葉だが、「歌は世につれ、世はうたにつれ」ということなのだろうか。
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