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嫂という存在
弟よ、私の妻と一晩よそで泊まってきてくれないか――。
この世でいちばんわからないのは自分の心ではないだろうか。
繊細ゆえに孤立する主人公。名作『こころ』へと繋がる長編小説。
学問だけを生きがいとしている一郎は、妻に理解されないばかりでなく、両親や親族からも敬遠されている。孤独に苦しみながらも、我を棄てることができない彼は、妻を愛しながらも、妻を信じることができず、弟・二郎に対する妻の愛情を疑い、弟に自分の妻とひと晩よそで泊まってくれとまで頼む……。
「他の心」をつかめなくなった人間の寂寞とした姿を追究して『こころ』につながる作品。用語、時代背景などについての詳細な注解、解説を付す。
文学史上最強の嫂(あによめ)登場。「ザ・グレート・アニヨメ(オニヨメではない!)」。行人ブラザーズ一郎&二郎との覆面剥ぎ取りデスマッチで「お前の正体さらしてやる!」とやる意気込んで兄の一郎は刺客として弟二郎を嵐の「和歌の浦」決戦に送ったが。仮面夫婦の「覆面剥ぎ取りデスマッチ」の行方はどうなる?
「嵐の宿」決戦では嫂の涙、着物を帯を解いて寝技に入るか?と思わせて、浴衣を着る肩透かし。翻弄される二郎に嫂の仮面をはぐことは出来ずに兄一郎に報告しなきゃいけない。すでに兄の心はズタズタに引き裂かれていたのだった。自己崩壊一歩手前で「行人」一家を支える大黒柱として一郎はやっていけるのか?
嫂は一郎の「家(ホーム))」での絶対アウェイ戦でますます強靭になったいた。隠居した父の与太話、母のいらぬお節介、小姑(妹、重)の敵対心で日々鍛錬されていく。嫂は一日にしてならず。「ザ・グレート・アニヨメ」ともなると、夫一郎の謂れのない平手打ちにも反撃せずに、一郎のほうがヘナヘナ泣き出してしまう。
一郎はヨーロッパスタイルを学んだプロフェッサー(プロレスラー?ストロング・スタイル?)だったが、しばしば自分の技に自惚れて自爆してしまうのだ。嫂も仮面を剥げば、ダンテ『神曲』の「パオロとフランチェスカ」だと考えた(考えすぎて身体が動かないのじゃないか?)。それでも不倫された兄よりは名前を残して世間では知られている(「パオロとフランチェスカ」地獄のデスマッチの話。義弟が妻と浮気した為に地獄送りに、しかし芸術作品として義弟の名は永遠に刻まれた)。その愛の技は普遍だと考えた。兄はそれを臨んだ。しかしながら直は嫂の仮面を外すことはない。語り手二郎も直&二郎で「昭和の枯れすすき」を歌うつもりもない。兄一郎の一人カラオケになっていくのは必然だったのか?
崩壊一歩手前で昔のホモだちと高地トレーニング(小旅行)へ。そこで昔のように自意識を晒して裸で語り合うのだった(Hの手紙)。次回『こころ』へ続く。
「嫂」という文字はすごい漢字だよね。日本の家社会を語る一つの言葉かもしれない。弟嫁とはあまり言わない(一文字の漢字がない)のは分家していくからだろうか?外国にも嫂に当たる言葉はあるんだろうか?中国や韓国にはあるのだろうか?個人と世間の問題でそこ(嫂)に注目したのはさすが漱石。