『破果』老いとハードボイルド
「カルチャーラジオ 文学の世界 “弱さ”から読みとく韓国現代文学」は、講師の小山内園子さんの丁寧な解説もあって読書意欲を掻き立ててくれました。「 (12)喪失と再生の老年」で紹介された韓国文学。ラジオはすでに聞けなくなっているが、この講義はいろいろ韓国文学を知るのに勉強になった。何冊か、この講義の韓国文学を読んでます。そんな『破果』を翻訳したのが小山内園子さんだった。
65歳の老女の殺し屋のハードボイルド小説。あっちこっちガタが来て医者通い。まあ通常でも不死身でない限り怪我はするだろうから、そういう部分はリアリティがあるような。ハードボイルドの乾いた感じは会話に。特に「守るものがなにもない」というドライさ。ただ地の文は文学的。
「破果」というのは熟した果物がさらに腐食した状態、それを自身の姿と重ねている。どんなものでも時間の経過と共に腐食する。それはハードボイルドの銃であってもだ。その逆説としての身体性。精神の永遠性と身体問題。
最後は他人の子供を守るための戦いとなった。誰かのレビューでジーナ・ローランズの『グロリア』に言及していたけど、なるほどと思った。映画化したら面白いだろうね。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?