#黒田三郎
シン・現代詩レッスン103
黒田三郎「誕生日」
『現代詩101』からもう一度黒田三郎を見直してみる。唱和の酔っぱらい詩人とレッテルを張ってしまったが、ちょっと違う見方を見てみることに。酔っぱらいであることは変わりないのだが。
五十歳という年齢がわかるのならまだましだ。わたしは年齢もあやふやになってきている。だいたいはわかるのだが正確のところはよくわからないのだった。年齢を意識するのは誕生日だと思うのだが、そうした誕生日の
シン・現代詩レッスン102
黒田三郎「秋の日の午後三時」
『現代詩101』からもう一度黒田三郎を見直してみる。唱和の酔っぱらい詩人とレッテルを張ってしまったが、ちょっと違う見方を見てみることに。酔っぱらいであることは変わりないのだが。
会社をサボって上野不忍の池にいるやっぱ酔っ払い詩人か?そう画いているのだが詩を書くときはさすがに醒めているのだろう。
「晴着を着た小さなユリ」は娘である。酔っ払いの自分の姿と娘の姿が対に
シン・現代詩レッスン97
黒田三郎「賭け」
『黒田三郎詩集』(現代詩文庫)ではなく大岡信『現代詩の鑑賞101』からで、アンソロジーなので一人の詩人ではなく様々な詩人が掲載されているのだ。その中の解説もなかなか面白い。この詩は黒田三郎が結婚で妻を得たときの詩なのである。それは恋愛詩と言われるものだがいまとは随分と違うのだ。まず現代ではこういう詩を書けないだろうと思うのだ。
この出だしだけでふざけるなと思ってしまう。五百万
シン・現代詩レッスン96
黒田三郎「一枚の木葉のように」
『黒田三郎詩集』(現代詩文庫)から「一枚の木葉のように」。黒田三郎の詩は現実の自分自身を鞭打って嘆くのだ。それは時代の社会への反抗として豊穣の生活に対して貧困を読む。6-70年代はまだそうした詩が読まれていた。やっぱその辺りの出自は「荒地」派なのだろうか?
どうしようもない詩人だと思うのだが。ふと高層マンションの窓明かりを見てそこに人は幸福に暮らしているのかと思
シン・現代詩レッスン95
黒田三郎「道」
『黒田三郎詩集』(現代詩文庫)から「道」。現代詩の道のりも迷子状態で、とりあえず(現代詩文庫)から読んでいけばいいのかと。最初に「荒地」派をやろうと思った。
短い詩だけど、これはなかなか方向性としてはいいのではないか。シュルレアリスムにかぶれて迷子になるところだったが、なるほど「僕の部屋に通じているだけの」道なのか?多分、これも先行する道があったのだと思う。
それは高村光太郎